2016/08/03

コロンビアの演奏系アトモス

【TDS】豪華客船でビアガーデン、夜涼を彩るサプライズで大人ディズニーを満喫 -ウレぴあ総研
船上の貴婦人と音楽家|☆ ディズニーシー風景写真 ☆

現在コロンビアのウェルデッキ、テディ・ルーズヴェルトラウンジのテラス席では女優のカトリーヌ(オーバーザウェイブのカルティエと同じ衣装だが、マジークとベイサイドビートのサフィールの
ように別人)、アコーディオン奏者のベン、マジシャンのロバート(正体は航海中に一等客に取り入って賭けトランプで巻き上げるプロのギャンブラーでマジックはその口実…かと思いきや違う模様。そりゃそうだ)の三人がゲストとふれあうアトモスが開催されている。
ポルトのメイヤーなど開園当初のをほうふつさせるテーマポートの住人系アトモスで、例え停滞した大型開発の急場しのぎだとしても大変喜ばしい。やればできるじゃないかOLC!




↑カトリーヌは「何もしないアトモス」としてメイヤーに通ずるものがある。

さらにコロンビアにおける9年ぶりの演奏系アトモスである点も注目に値する。今回のアトモス攻勢をきっかけに昔のような演奏やテーマポートの住人が定着する可能性はあるまいか(開園当初は魅力あふれるアトモスが期間限定ではなく常駐していたのだ)、ひょっとしてコロンビアそのものにも注目が集まるかも、と淡い期待を込めてコロンビアにおけるアトモスをまとめてみる。…なんだかハロウィンの時も似たような皮算用をした記憶はあるが、それはそれこれはこれ。


・ダイニングルームのピアノ
開園時―2007年?
東京ディズニーリゾート物語3号などに写真が掲載
八王子 ピアノ教室 「カーサ・デッラ・ムジカ」 講師紹介
↑ダイニングで演奏していたピアノストの紹介。

S.S.コロンビア・ダイニングルームのピアノは開園当初から数年は食事時に演奏していた。当時通っていた方いわく、当初はラグタイムを演奏していたが末期になるとディズニーソングになり雰囲気が少々…とかなんとか。
調律すらされていないという数年前の記事(S.S.コロンビアダイニングルームのピアノ|ピアノ 鈴木愛海のブログ/千葉県佐倉市)もあるので、再び演奏されるかというと絶望的だろう。

・ドックサイド・ポーターズ

普段はアメリカンウォーターフロント界隈でアカペラを披露していたドックサイド・ポーターズはラウンジにも出没した。トリオメロディーアがカナレットで演奏した(Trio Melodia _ まりきょデニアリー)ように特別な催しではなかったようだ。

・5周年アトモス『ジャズ&トニック』



ジャズ&トニック ( ディズニーリゾート ) - りゅうの「海鼠はシーのミッキーではなく“なまこ”と読みます」 - Yahoo!ブログ
バレンタイン・スペシャル~東京ディズニーシーのシーズン・オブ・ハート ♪バッハ・カンタータ日記 ~カンタータのある生活~_ウェブリブログ
テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ ‐ K&D やぐ
5周年イベントのアトモスとしてルーズヴェルトラウンジの暖炉前のボックス席でボーカル、ギター、クラリネット、ベースの編成によりジャズを演奏。


・シーズンオブハート

↑過去にはいくつかアップされていたが動画サービスの終了で見られなくなっており、ジャズ&トニックとともに現在ネット上で見られる唯一の動画。アップされたやぐさんに感謝。
2月3日インパ④~S.S.コロンビアダイニングルームの素敵なライヴ ( ディズニーリゾート ) - ディズニーリゾート日記~さんぺい~ - Yahoo!ブログ

2007年イベント、シーズンオブハートではピアノとボーカルが演奏した。
ディズニーファン誌にもアトモスとしての名前は記載無し。2008年には開催されていないので、おそらく5周年の一環としての要素が強いらしい。



・当時の船上バンド
ディズニーソングも結構だがやはりここは往時の曲でないと雰囲気は出まい。
第一次世界大戦中にはフォックスロットが、1920年代にはジャズが流行するが、コロンビアの1912年ごろでは『日本のジャズ史―戦前戦後』や日本郵船歴史博物館の企画展図録などによればピアノとバイオリンやコントラバスなど弦楽器を中心にした5,6人のバンドがトランペットやクラリネットを持ち替えつつアレキサンダーラグタイムバンドやなどのラグタイム・ワルツを演奏していたという。要は映画『タイタニック』のバンドを思い浮かべれば大体あっているわけだ。
現在のところエリアBGMを除きビッグバンドビートやフォーリーズなどのようにもっぱらジャズが用いられ、ラグタイムを演奏した開園当初のアトモス、スタテンアイランド・ラグタイムバンドの他にはセイルアウェイぐらいしか知らない。コロンビアでもピアノやバイオリンなどのバンドで演奏すればより雰囲気がでるだろう。


・コロンビアをより深く楽しむ
コロンビアの船首甲板では夕暮れ時を除き普段はまったく人影を見かけずマツコの特集と今回のアトモスで賑わっている感がある。
これを機会にコロンビアそのものにも注目して欲しいなあ、ということでディズニーファン誌の記事の紹介。

・ディズニーファン誌2006年9月号『ワンダフルボヤッジ』
専門家が各テーマポートの作り込みを解説した連載『ワンダフルボヤッジ』の第一回はコロンビア。船舶専門家の庄司邦昭、千葉元両氏が船首甲板の機器などを解説しているのでこれを読めば間違いなくコロンビアをより楽しめる。

それと夏コミで出す『合衆国汽船コロンビア号』(
コミケ90参加告知 - 寝古鉢鉄工所)もよろしくお願いいたします…というダイレクトマーケティング。

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2015/09/26

セイリングデイブッフェの作り込み

【TDSハロウィーン】ヴィランズの手下たちに会える!「セイリングデイ・ブッフェ」アトモスフィアショー&限定ブッフェ - ディズニー特集 -ウレぴあ総研
2015年東京ディズニーシーのハロウィンに登場するヴィランズの手下たちはディズニージャンル以外の二次創作界隈にウケがよく、エンドバニーを上回る勢いで思いがけないジャンルでもイラストを見かける程広まっている。
彼らとグリーティング、要は触れ合えることからその会場であるセイリングデイブッフェは連日大賑わいであるが、しかし本来このレストランは隣で処女航海を待つコロンビアと密接に関わっており作り込みやバックグラウンドストーリーに目を向けてみると大変面白い。どうせ行くならこっちにも関心を抱いて欲しいという無駄な期待を込めて本記事ではセイリングデイブッフェそのものについていくらか偏った解説をしてみる。
…もちろん隠れミッキーは抜きでな!(シャバーン調で)
 
・セイリングデイブッフェとは
セイリング

今日は、豪華客船S.S.コロンビア号の船出の日(セイリングデイ)。客船を所有するU.S.スチームシップカンパニーでは、大統領や著名人を招いて行う祝賀会場として、貨物ターミナルや機械作業所、オフィスをダイニングエリアに変えました。パーティー会場には、世界各国の料理が盛りだくさん!どうぞごゆっくりお楽しみください。 東京ディズニーシー公式サイトより
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↑Pier54、54番埠頭と表記される扉

ユナイテッドスチームシップカンパニー(以下合衆国汽船)の埠頭であるニューヨーク港の54番埠頭。外壁やトイビルトロリーパークの地図で確認できるがここは史実においてキュナードのメインターミナル。
近年コロンビアの処女航海設定が薄れつつあるらしいが、本来のストーリーはコロンビアの処女航海を祝う祝賀会場でありだからこそ「船出の日=セイリングデイ」の名前を冠しているのだ。すでに現時点で1912年3月20日(コロンビア処女航海)、同年9月4日以降(タワーオブテラーホテルツアー開始)、1920年代(ビッグバンドビート)と三つの年代が同居しているのでいまさら捨てることもあるまい。

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↑『817 Acres Coast Transit Co.』より工事現場の総合案内。

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↑RipBang Studiosよりコロンビア・ボンヴォヤージュ・ブッフェのデザイン画。

なお計画及び建設中は「コロンビア・ボンヴォヤージュ・ブッフェ」であったことは建設中の写真(『817 Acres Coast Transit Co.』より『舞浜リゾート線 沿線風景の移り変わり』)やデザインに関わった事務所RipBang StudiosPDFに掲載されるデザイン画からもわかる。

・ターミナル
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入ってすぐ正面は貨物ターミナル。頭上に世界中へ送る貨物が置かれている。

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新聞大容量
↑ニューヨークグローブ通信3月20日号より『コロンビアの就航を祝うルーズヴェルト』
中央のトロッコを用いた式台ではセオドア・ルーズヴェルトが演説を行ったことがタートルトークの待機列にあるニューヨークグローブ通信で触れられている。手下達も乗らないものかね?

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↑持ち船の入出港一覧
港や船名を見てみると大西洋に留まらず上海まで足を広げたりマーク・トゥエインの本名であるサミュエル・クレメンス(東京ディズニーランドのみならずこちらにも蒸気船マーク・トゥエインがいるわけだ)がいるなどなかなか楽しい。
もちろんコロンビアの名前もある。READY TO SAIL!とは粋であるな。

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↑黒板の左にはコロンビアにちなんだ絵や図面などが飾られる。

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↑カラースキームとダイニングルームの比較。二枚ともほぼそのまま実現していることがわかる。

ここにはセイリングデイブッフェで一番注目して欲しい絵がある。それはS.S.コロンビアダイニングルーム、つまりコロンビアの一等ダイニングの「カラースキーム」だ。
カラースキームとは客船のインテリア設計に用いるデザイン画のことでありカラー写真が数少ない戦前の客船インテリアを現在に伝える貴重な資料でもある。『豪華客船インテリア画集』や横浜みなと博物館企画展図録『豪華客船インテリア画展』などの書籍にまとめられているがそんなものまで模するとはさすがはイマジニアだ!…ともかく、コロンビアの内装のデザインと聞いてアトラクションの登場人物を思い浮かべないだろうか。そう、合衆国汽船令嬢にしてホテルハイタワーのツアーを主宰するニューヨーク市保存協会会長ベアトリス・ローズ・エンディコットである。
今は亡きタワーオブテラー特設サイトtot1899.com(『それはむずかしい』より『TOT1899.comのまとめ』にログが掲載される)によれば彼女が「中央アメリカに建設中のパナマ運河を称える意味で、美しいトロピカルなイメージ」をダイニングのテーマにしてまとめたという。カラースキームは時として設計者本人が描くことを踏まえるとエンディコット女史自身によるものとも解釈できるのだ。
つまりここセイリングデイブッフェはカールッチビルと並びタワーオブテラーの関連地でもあるが、君は名前すら見かけないが一体どういうことかねニューヨークグローブ通信記者のマンフレッド・ストラング君!

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↑ダイニングの敷物とカーテンのサンプル。これもカラースキームと共に内装のデザインに用いたのだろう。

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↑現物と比べいくらかモダンに描かれるコロンビア。なんだかノルマンディ風ではある。

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↑救命艇を吊るすダビットの広告の一文"OLYMPIC & FIFANIO"に注目。実は後者のFIFANIOなるイタリアチックな船名はイマジニアのコロンビアに込めた意図を読み取れる手がかりだが…詳細は我が同人誌『合衆国汽船三軸定期船コロンビア号』にて。


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↑トイレへの通路にはコロンビアを描いた絵画が 船内階段踊り場に飾られるものよりも幾分かスマートに描かれている。
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↑絵画の反対側には埠頭で働く労働者のタイムカードなど。

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カレンダーのコロンビアは現物と比べて明らかに姿かたちが違うが、これはドイツの客船ファーターラントVaterland(1914)を引用しているからである。ドイツ船とはいっても第一次世界大戦で賠償として引き渡された後リヴァイアサンLeviathanとしてアメリカ最大客船のタイトルを50年保った経歴を持つのであながち場違いでもないが、そりゃノルマンディNormandie(1935)が登場するまで世界中のどの軍艦すら上回る巨船(トン数はコロンビアの倍以上54,282トン)だから違和感を感じてもしょうがないわな。

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↑平賀譲資料より『講演用壁掛図表:帝国巡洋戦艦及英国商船比較図』
ファーターラントの姉妹船マジェスティックMajestic(1922)と八八艦隊の比較。巡洋戦艦(いわゆる13号型、だったはず)がシルエットにすっぽり比べるほどの巨体であることが一目瞭然である。


・作業場
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右手は表にレシプロエンジンのクランクが、内部には様々な工具類やスペアパーツが置かれ一段と雑然とした作業場。『ドナルドのボードビルダー』が上演されていた頃のケープコッド・クックオフと比較しても楽しいだろう。

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埠頭に停泊する客船に荷物を積み込むベルトコンベアが頭上を通るがよくみてみると途中で明らかに詰まっている。
東京ディズニーシーのバックグラウンドストーリーといえばタワーオブテラーのようなマクロな設定(OLCの資金力を背景にしたイマジニアの良心的暴走ともいう)が有名だがこんなちょっとした作り込みにもミクロなストーリーが込められている。マーティ・スクラーの言葉を借りるならば「全てのものがストーリーを語る」のだ。


・合衆国汽船本社
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正面向かって左側の区画はコロンビアを所有する合衆国汽船の本社であり他の二箇所と違い整った内装。
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↑ホテルハイタワーはまさに目の上のたんこぶであり社長のコーネリアス・エンディコットがホテルを解体したがるのも道理という奴だ。

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↑タートルトークができるまでは園内唯一だった断面図。二本煙突なのでコロンビアの姉妹船フーサトニック?

写真21
↑三本煙突のコロンビアと比べ少々古めかしい四本煙突船はキャプションによればアメリカ海軍マウント・バーノン。
なぜ海軍の船が?と思われるだろうがこれも詳細はコロンビア本もしくは過去の記事にて。

レストランそのもの、それもコロンビアに関する部分だけでもこれだけの事柄があることがおわかりいただけただろうか。これらのような作り込みやストーリーは単なる雑学やトリビアとして、あるいは隠れミッキー探しの場としてしか扱われないが、そんな扱いがもったいないほど濃度が高いから手下のついで構わないのでこちらにも興味を持って欲しい。
2014/10/05

コンフェティ補足―コロンビアのモデルと1912年前後のアメリカ海運事情―

コンフェティに書いた記事の補足として元の写真との比較と1912年前後のアメリカ海運のざっとした解説を書きましたので、コンフェティの記事と併せて読み下さい。
All Britannic pictures on this page are courtesy of Michael W. Pocock and MaritimeQuest.com
1,実物との比較
・ブリタニック
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↑建造中のブリタニックHMHS Britannic (1914) Page 4より

写真17
エンディコット親子による視察の様子の元ネタはブリタニック。タイタニックとの識別ポイントは記事でも述べたとおり左右どちらの船台で建造されているかです。


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こちらはタイタニック。 並べると違いがおわかりになるはずです。Wikipediaより



3無題
エンディコット親子の拡大。個人的にベアトリスだと思います。あくまで個人的な感想、それも願望に近いですが。
無題
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人影が隠れているのでフレア(船首の上が広がる部分)を引き上げていることがわかります。

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↑進水直前のブリタニック
HMHS Britannic (1914) Page 4より

写真18DSCF3335_R.jpg
進水直前の重役達の記念写真もブリタニック。もちろん本物のブリタニックに海底展望室はついていません。(一番下はオセロさん撮影)
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製造中のタービンや建造風景MaritimeQuest - HMHS Britannic (1914) Page 2
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建造中の全体像や製造中のタービンも後で触れるものを除きみんなブリタニック。コロンビアの船会社ユナイテッドステーツスチームシップ社(長いので個人的には『合衆国汽船』と呼んでいます)の社紋を入れています。

・ルシタニア
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写真3
ニューヨーク港のルシタニア。比較すると4本目の煙突を消してブリッジを現物と入れ替え、さらに背景に霞んだホテルハイタワーを付け加えているのがわかります。ですがプロムナードデッキ周辺はルシタニアのままですのでわりとわかりやすいほうです。
無題

写真15
進水直前のルシタニア。(上はWikipediaより)それにしても合成のうまいこと!スクリューの数まで変えています。

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無題r


進水直後。進水前に救命艇を積むのはおかしいと思い探したら案の定でした。
式台と船体の位置関係がちぐはぐになっているのは後の写真からコピペしたからでしょう。


・インペラトール
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写真13
建造中のインペラトールのスクリューを拡大したものが左の写真です。
アメリカ議会図書館のべインコレクションhttp://www.loc.gov/pictures/collection/ggbain/item/92501327/より

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こちらもインペラトール。命名者である時の皇帝ヴィルヘルム二世(ピッケルハウベをかぶっているのがそれ)たちをエンディコット家に差し替えています。
こちらもアメリカ議会図書館べインコレクションhttp://www.loc.gov/pictures/collection/ggbain/item/ggb2005011597/より
・ファーターラント
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『豪華客船スピード競争の物語』よりファーターラントの煙路図。水管ボイラーやデッキ数、換気筒グリルが同じですのでまず間違いないでしょう。(同行したオセロさん撮影)

2,1912年前後のアメリカ海運
 アメリカンウォーターフロントの作りこみにアメリカ船をさっぱり見かけないことと各解説でしょっちゅう「第一次世界大戦」がキーワードとして登場していることにお気づきでしょうか? 今からちょうど100年前に勃発したこの戦争は日本では第二次世界大戦と日露戦争の陰に隠れがちですが、1910年代前後の客船について語る際重要なワードとなりますのでコンフェティ記事の補足としてこれを軸に当時のアメリカ海運を解説します。

・第一次世界大戦前
 端的に申せば1912年当時大西洋の海運はイギリスとドイツが二分しておりアメリカ船の出る幕はありませんでした。ルシタニア級でブルーリボンを取り戻したキュナードとタイタニックの沈没で泥が着いたホワイトスターなどのイギリスが船舶量の過半数を占め次位を高速4本煙突船を多数擁する北ドイツロイド(NDL)とインペラトール級巨船三姉妹を揃えかけていたハンブルク・アメリカンライン(ハパグ)だけで大西洋の全乗客の4割を占めるなどドイツが追い上げており、一方アメリカは全貨物の積み取り率が10パーセントを下回るなど非常に劣勢でした。
 キュナードラインの創設者サミュエル・キュナードと張り合ったコリンズラインCollins Lineや「実質的アメリカ商船の実現」をアピールしブルーリボン競争に参戦したギオンラインGuion Lineなど一時的に盛り上がったことはありますが、大西洋の膨大な需要が移民のようにヨーロッパからの一方通行だったことや豊富な木材資源が仇となった大型化に欠かせない鋼鉄船の技術の遅れ、そして孤立主義であるモンロー主義を掲げる政府が海外への進出に消極的でありナショナルフラッグキャリアの育成に熱心でなかったことなどから一時的な盛り上がりに終わり英独のように際限無い競争を続けられなかったのです。
 例外はグレートホワイトフリートやパナマ運河など棍棒外交を推し進めたセオドア・ルーズヴェルトでありテディ・ルーズヴェルトラウンジとSSコロンビアダイニングルームにも非常に関係しますがこれはコンフェティの解説で詳しく触れる予定です。
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↑ラウンジの天井画にはグレートホワイトフリートの航路がしっかりと描かれている。

 確かに1912年当時は北大西洋海運の独占を目指すモルガン財閥によるIMMがアメリカだけでなくホワイトスターなど海外の船会社も次々と傘下に治めていましたが、アメリカ船自体は2万トンを下回る小粒なものばかりだったのでありダイニングルームの46,328トンはともかくタートルトークの23,990トンもアメリカ船ではトップです。
 当時アメリカ最大の客船は1904年に登場した20,718トンのミネソタMinnesota(1904)であり、しかも大西洋ではなく太平洋のグレートノーザン鉄道汽船Great Northern Steamshipの客船です。これも登場時は大西洋最大のセドリックCedric(1902) 21,073トンに次ぐ大きさでしたが、1910年代にはイギリスとドイツの競争がヒートアップし4万トン級のオリンピック級の直後に5万トン級のインペラトール級が登場するなど格差は圧倒的に広まりました。
このように英独が独占していた海運情勢を一変したのが第一次世界大戦だったのです。


・戦争勃発
写真21
↑セイリングデイブッフェのマウントバーノン
 第一次世界大戦が始まると被害を避けるため停泊中だった船は出港を取りやめ航行中だったものは開戦当初はまだ中立国だったアメリカに逃げ込みました。例えばニューヨークに向けて航行中だったクロンプリンツェシン・セシリーは煙突のトップを黒く塗りホワイトスターのオリンピックに偽装して東海岸最北端の漁村バー・ハーバーBar Harborに前触れ無く入港(ケープコッドにコロンビアが突然来るようなものなので大騒ぎになりました)、ニューヨークに停泊中だったファーターラントは二年以上そのまま係留され続けました。
 このまま戦争が終われば再び日常に戻れるはずでしたが1917年にアメリカが連合国側に立って参戦すると状況は一変、アメリカ中に停泊していた35隻もの客船が接収され米軍を西部戦線に送り込む輸送船としての任務に就きました。その際改名されたのですが、セイリングデイブッフェのマウントバーノンもその一隻であり先のクロンプリンツェシン・セシリーの輸送船時代の姿です。要は1917年以降の姿になりますので実のところコロンビアの処女航海を祝う1912年のブッフェにあるのは不適当だったりします。イマジニアはわかっていながらあくまでアメリカ船のイメージを使いたかった、と思いたいところ。

・終戦後

ところ変わってTDLのチャイナボイジャーに掲げられるのはユナイテッドステーツラインのポスター。
実在する第一次世界大戦後の広告なので呼び込み文句はアメリカ人観光客向けの『欧州に行きませんか?Going to Europe?』
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こちらより
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Wikipediaより
描かれているのは元北ドイツロイドのジョージ・ワシントンGeorge Washington(1909)であり決してタイタニックではありません。

 戦争が終わると殆どのドイツ船が沈むか賠償として連合国側に引き渡されました。ハパグの三巨船の場合はファーターラントが接収したアメリカのユナイテッドステーツラインのリヴァイアサンに、インペラトールはルシタニアをUボートの雷撃で失ったキュナードにベレンガレアとして、そして進水したまま未完だったビスマルクは地中海で触雷して沈んだブリタニックの代船としてホワイトスターに渡りマジェスティックとして完成しました。本来なら揃って大西洋に君臨するはずだった三姉妹が国も船会社もバラバラに就航したわけで、タートルトークの煙路図で注をつけたのはこのようなわけがあります。
ジョージ・ワシントンやアメリカといったほかの客船もリヴァイアサンと共に星条旗を掲げ運航されましたが一方でNDLの4本煙突船たちは客船への復帰案が幾度も浮上しながらも20年以上放置され1940年ごろに解体されました。おそらく燃費の問題などがあったと思われます。
客船たちの国籍が変われば需要も変わります。コンフェティの解説で述べたとおり大戦前の膨大な需要は先ほど述べたようにヨーロッパからの一方通行の移民でアメリカ船が恩恵を被ることはありませんでしたが、1921年に移民が規制されるとうまいことにアメリカからヨーロッパへの観光客が増加し各国が移民からツーリスト重視になると共に地元アメリカ船の需要が増えました。
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最後のブルーリボンホルダーユナイテッドステーツUnited States(1952) Wikipediaより
いくら有名なアメリカ船とはいえもしもコロンビアがこの船をモチーフにしていたら調和も何もないでしょう。
 
 これに加え政府の政策転換が追い風となりました。海運業の育成に冷淡だったアメリカ政府はこれら接収船の輸送船としての活動ぶりから有事に備えての補助に熱心になりユナイテッドステーツラインに接収船の運航を任せたり建造や運航に手厚い補助金を出すようになりました。これらの理由により解説本編で登場したマンハッタンやワシントンなどでようやくコロンビアを追い抜くサイズになったわけですから、だからこそコロンビアのトン数が冒険すぎると強調しているのです。
 この流れは第二次世界大戦で100万人以上の将兵を輸送したクイーン姉妹の活躍ぶりに感化され「客船としても使える輸送船」ことユナイテッドステーツを建造するに至るまで過熱しました。直後にジェット時代が到来してオーシャンライナーが終焉を迎えたので無駄足になりましたが、アメリカ船がついに一つの頂点を極めたのには変わりありません。

 以上が第一次世界大戦を挟んだアメリカ海運のまとめです。書籍を当たってみますとやはり本国でも戦後のユナイテッドステーツか戦間期のリヴァイアサンから取り扱っておりギオンラインとリヴァイアサンの間、1880年代から1910年代前半はめったに取り上げられていないほど知られていませんのでだからこそ「在りし日のオーシャンライナー」というイメージを作り出すためには英独有名船の写真を用いる必要があったと言えます。
 ただしこの年代の客船は日本においてタイタニックしか知られていないのでそればかり取り上げられますが、タイタニックだけではなく様々な客船を寄せ集めていることは強調します。

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キューラインの写真から元ネタや史実まで幅広く展開できますので、これぞ作り込みの醍醐味の一つと言えますでしょう。
2012/05/26

SSコロンビア概説 5~コロンビアの元ネタは何ぞや?


長らく続けてきたコロンビア概説だがようやく本丸のコロンビアの元ネタについて触れる。このためにブログを開設したも同然であり一種の決算であるので数々の資料をいくつかお借りして書いてみた。長文ではあるがご容赦願いたい。
※2015年5月追記
タイタニックと思われていた写真など各部に誤りがあるので最新の記事および同人誌『合衆国汽船大西洋三軸定期船コロンビア号』(BOOTHにて通販中)を参照していただきたい。3年の月日は長いなあ


内装より
・セイリングデイビュッフェ内のカラースキーム
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公室で立ち入りできるのはダイニングルームとルーズヴェルトラウンジだがここでは前者に焦点を当てる。
ダイニングルームにパナマ運河を通過するコロンビアの絵画(ということはコロンビアのサイズはパナマックス以下ということか)であるとか会長は『美しいトロピカルなイメージをテーマにするつもり』との日記の著述により中南米のイメージということがわかる。
そこで提示したいのが内装は中南米航路の客船から取っている可能性だ。
たとえば完成する前に空母に改装された橿原丸は時局柄日本の文化を強調した「現代日本様式」でまとめられる予定でありイタリアンラインのコンテ・ディ・サヴォイアはイタリア王朝をイメージした重厚な様式であったように就航する航路のイメージを基調にすることが多いことが理由としてあげることができる。
…ここで具体的な客船を挙げることができればいいのだが、残念ながら海外の船会社の中南米航路はまったく日本語資料が無くせいぜい日本のあるぜんちな丸関連程度しかないのでまったく不明だ。そこでWW1ならこの方!である志郎さんの白鳥の戦いを参考になってほしい。ここでは仮装巡洋艦同士の一騎打ちという史上唯一のレアケースを取り上げられているがドイツ側のカップトラファルガーは当時最新鋭の南米航路船なので参考になるはず。
・天洋丸1908のカラースキーム『豪華客船インテリア画集』より  カラースキーム自体についてはまた後ほど触れる
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またダイニングルームはテーブルがいくつも分かれているが、これもある程度時代を特定できる要素になる。20世紀初頭までの食堂のテーブルは長机でありダイニングルームのテーブルはそれ以降となる。この長机は多数の客を収容できるが、上記の天洋丸で上座下座の問題がいつも発生したようにちょっと古色だったので改められた。よってもうちょっと新しい年代をイメージしたことを推測できる。

・カップトラファルガー1914のウィンターガーデン 白鳥の戦いより
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最後にこれはひとつの仮説だが、ダイニングルームはウィンターガーデンもイメージしていたのではなかろうか?というのもディズニーシークロニクルに掲載されたダイニングルームのコンセプトアートでは椰子の木風な柱の葉が緑色に塗られていたりとより「トロピカル」な内装に仕立て上げられているのだ。このウィンターガーデンとは1888年竣工のシティオブニューヨークで初めて備えられた設備で、熱帯の植物を配置した温室みたいなものである。断面図を見る限り別に一等食堂はなさそうなのでまるっきりウィンターガーデンというわけではないが、当初は両者のイメージを掛け合わせていたのではないかと推測する。

要目・外見より
タートルトークの設計図
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ダイニングルームの要目Be myself(夏音 亜美菜さん)より引用090205.jpg
内装方面からの攻勢が非常に曖昧に終わったがここでは外見やタートルトーク、ダイニングルームで見れる上記の要目を頼りに候補を挙げてみる。ただし問題は両者の要目がまるっきり違うことだ。なんというかイマジニアさんたち仕事しろ。そりゃ何年もの差があるわけだが統一してくれたほうがうれしいです。とりあえず都合よくうまいところどりをして解釈を試みる。ちなみに前者の23、920トンで検索をかけても得体の知れない貨物船にあたったのみなのであしからず。
1,クイーンメリー RMS Queen Mary 1936 ウィキペディアより
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常識的に考えればこれ一択だろう。まずもってコロンビアの見た目はメリーのデフォルメでありディズニーが一時期所有していて本国のシー計画に組み込む予定(『参考文献wikipedia』であることからお察しください)でもあったとなればますます可能性大だ。
しかし問題がある。新しすぎるのだ。下の二隻と比べてみればわかるだろうがブリッジ前面が弧を描いているのが見える。メリーの外見を表した言葉に「ベレンガリアを流線型化したようなスタイル」というものがある。ベレンガリアとはまあタイタニックと同年代の船であり似たようなスタイルなのでそちらを参照してもらいたいが、つまりメリーは流線型時代な1920~30年代の外見であり、エドワーディアンとジャズエイジのファッションが根本的に違うのと同様にWW1前には合わないのではなかろうか。というわけで候補をほかにも挙げる。
2,タイタニック RMS Titanic 1912 ウィキペディアより
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1912年という時代を見ればまずこれ…というよりキャメロンの映画によって客船といえばタイタニックとイメージつけられている節もあるぐらいの有名船だ。ダイニングルームの要目にある総トン数はタイタニックとまるっきり同じ46,328トンであり、絵や図から読み取れる重要な点は機関がレシプロエンジンとタービンの両方が使用される複合機関であり、これが共通点だ。この複合機関はWW1前の一時期にハーランド&ウルフで建造された船のみが装備しておりこれを基準とするならば候補は非常に絞られる。…なんですけど、もしもコロンビアがタイタニックをイメージにしているとすれば処女航海は失敗に終わるわけで暗いことこの上ない。そんなものはガルガンチェアで十分だ。それにメリー以上に安直である感がプンプンしてしまい反感すら感じてしまう。よって最後にもう一隻挙げる。
3,ベルゲンランド SS Bergenland 1914,1917The Great Luxury Liners 1927-1954より
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何だこの船は?と思われるであろうが自分もそう思う。しかしスペックを中心に見るとこの船はかなり近いのだからしょうがない。まず所有したレッドスターラインは19世紀半ばから続くアメリカの船会社であり、トン数は上の二隻よりよっぽど近い24,578トン、さらに機関はタイタニック同様レシプロ・タービン複合機関(ハーランド&ウルフ製、つまりイギリス生まれなのには目をつぶる)、おまけに年代はほぼ同じ、そして解体される前の1年間名乗っていたのは写真の通り「コロンビア」と条件は揃っている。ただしこの船とする強力な根拠はただひとつ「俺たちのディズニーがメリーなんていう有名船を元ネタにするほど安直なはずが無い」である。しかしまあメジャーなブルーリボンライナーやヨーロッパの巨船たちではなくアメリカに一般的なサイズの客船もいることを記憶にとどめてもいいと思う。

結論
ここまで見たようにネタは統一されていなく正直なところてんてんばらばらな有様なことがわかるだろう。いわゆるよく訓練されていないマニアである自分としては確固たる元ネタが存在してほしかったがそこまで現実は甘くない。
よって結論は、コロンビアは一時期保有してかつ現存して資料が豊富に存在するクイーンメリーを下敷きにしタイタニックなどの1912年付近のオーシャンライナーのイメージを掛け合わした集合体である。
われながら実にフワフワした結論である。しかし一隻の具体的なある客船をネタにするよりもこっちのほうがイマジネーションが広げられよりシーらしいのではないか、と自分を納得させてみる。

補足
結論付けてみたわけだがこれら以外にも資料はある。たとえば冒頭に挙げたセイリングデイビュッフェにはたくさん資料があるわけでカラースキームはその代表例である。カラースキームとは内装設計者が描くインテリアデザインの原案であり、つまり後付けではあるが会長直筆の可能性がある。これはカールッチビルのドアノブに次ぐ存在になるであろう。一般には知られていないカラースキームを取り上げるとは何と・・・という感慨がある。だからこそ外観は何とかしてほしかったのだが。
次回シーに突撃したならばこれらの資料を基に記事を書くかもだがコロンビア関連はここでいったん打ち止めである。需要があったかはわからんがシーのなかで目立つ存在でありながらなじみの無い客船というものを理解する一端になってくれれば非常にうれしいです。

2012/05/19

SSコロンビア概説4~オーバーザウェイブとクルーズ


コロンビアはドックサイドステージには欠かせない存在である。セイル・オーバー・テーブルとすべてのショーの背景として君臨しており前者二つとはとりわけ密接している。
しかしコロンビアの処女航海と明確なセイルとは違いオーバーはちょっとあいまいだ。初期の航海5周年はまずもってありえなく、以降も明言はされなくなった。これはBGS厨にとって由々しき事態である。
というわけでクルーズという観点からオーバーを解読?してみようという試みを行ってみる。
1,前置き~クルーズ事情
①,WW1以前
クルーズ自体の発祥は古く1840年代の地中海航路の利用から始まった。北大西洋は冬になると荒れ渡航客が少なくなるのでその埋め合わせに行われていた。しかしこの内容は一言で表せば「素朴」に尽きるだろう。1910年に初めての世界一周クルーズに出たハバクのクリーブランドの売り文句は「電気仕掛けの乗客昇降機」「最新鋭の証明と換気設備」「汽船の安定感」…今から比べれば素朴だろう(大事なことなのでry)しかし帆船もまだ現役だったこの時期では考えられない贅沢だった、と考えるしかない。ゴールデンミッキーもショッピングセンターもないのは当たり前である。

②,戦間期 
世界恐慌のためにガクッと減ってしまい、ノルマンディみたいな新造船やブルーリボンライナーもしょっぱなからカリブ海クルーズを行う羽目になった。戦前からの韋駄天であるモリタニアもその一隻で、Dファンのコロンビア解説に載っている写真はこの後に解体されるため回航される直前の姿である(白色塗装、アンカーの錆、フォース橋をくぐるためのマストカット…にしても全盛期でなくこの時期の写真を使ったのはなぜだろう?)これらのクルーズは定員をいつもよりも制限し高い運賃を取る代わりにサービスをよくする方法をとっていた。
地中海航路は戦前からクルーズ的要素も兼ね備えており、イタリア唯一のブルーリボンライナーレックスは屋外プールを最初から備えていた珍しい存在で、食事もたとえ三等であろうとうまいと評判であった。
WW2以前これらのクルーズは一人勝ちしたアメリカ人を主体とする一部の富裕層が対象であり、現在とは違い非常に限られたものであった。この状況が変化するのが二次大戦後である。そしてめいいっぱい遊ぶというよりも避暑地に行く感覚でありゴールデn(ry

③,戦後
 戦後数年間はキュナードのクイーン姉妹による北大西洋独占であるとか最後のブルーリボンライナーでありチート野郎でもあるユナイテッドステーツ就航だとか最後の華やかな時代だったが、戦争にありがちな技術の発達により航空機が大西洋を制覇する時代になり勝負ははっきりした。そりゃ数時間VS3,4日だったらわかりきっていることであり…。
というわけでまたしてもお下がりによるクルーズが始まったがここで問題になったのは北大西洋に適した構造という点だ。エアコンはない、屋外プールはない、世界一周航路に必需なパナマ運河は幅が広すぎて通過できない…
屋外プールを備え着実にクルーズ色を強めていたインディペンデンスやアンドレアドリアを新造した地中海航路も同様で、航空機の前に滅び行く恐竜のようなものであった。
しかし絶滅すると思われた客船事業にも一筋の明かりが見えた。カリブ海大衆定期クルーズである。これまでのクルーズは不定期に行われるいわば一品物で客が予定をあわせなければならなかったが、週末の定期便を出すことにより気軽に行けるようにし利便性を強化ししかもメガトンシップと呼ばれるような巨船にすることにより単価を安くするのに成功した。クルーズの性質も航海を楽しむというより船上であらゆる遊びを楽しめるいわば動くレジャーというものに変化した。ディズニークルーズもこれに近いランクである。これにより消えたのが大西洋横断航路であった。せいぜいキュナード船が修理するためにヨーロッパの造船所に行くついでのクルーズぐらいだ。

2,本題~オーバーはいつごろだ?
さてようやく本題のオーバーの時代特定(ぶっちゃけこじつけ)に入る。
アメフロの基本設定である1912年は上記のようにまだしも初期の5周年はまずもってありえない。さすがのアメリカも戦争中にクルーズを行う余裕は無い。よってWW1以前は却下。
次に戦間期だが客層から疑問点がつく。だってティムスーあたりが富豪に見えるかといわれても…中流あたりがぜいぜいだろう。クルーズの内容も書いたとおりトロピカルパーティやみたいに派手ではない時代でちと疑問点がつく。
ここで残ったのが戦後だ。ここが一番しっくりくるだろう。現代のクルーズに近づきつつありながらノスタルジー分も補給できる。現代のクルーズに密航は合わないし時代的にもトニマリの衣装移民事情エトセトラがつじつまあわせできる瀬戸際ラインでもある。それにコロンビアのクルーズにあわせるための近代化改装とかUSスチームシップ(いい略語は無いものか。USSだったらアメリカ海軍の接頭詞になってしまうし)関連も結び付けられてますますよろしい!
というわけで個人的にオーバーは戦後1950年代あたりが妥当ではないか、という結論で締めで。1912年じゃない?ジャズエイジなBTMや3月20日処女航海なコロンビアと9月4日ツアー開始のタワテラと転々ばらばらなアメフロで何をいまさら…である。なによりさまざまな時代が同居していれば妄sゲフンゲフン想像にもプラス、ケースバイケースでいいのでは?

追記よりこの設定による妄想。あまりオススメはできない。

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