2017/06/11

郵船博物館企画展『日本が運んだニッポン-客船時代のメニューデザイン-』

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企画展「日本が運んだニッポン-客船時代のメニューデザイン-」|展示・イベント一覧|日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸

郵船博物館の企画展『日本が運んだニッポン-客船時代のメニューデザイン-』に行ってきたが、いくつか注意しなければならないことがあるのでそれから。
まず題名の通り食事ではなくメニューのデザインに集中している点。確かに食事は9年前に企画展『豪華客船の食』があり今回も取り上げるとなると焦点がぼやけてしまうかもしれないが、ここまで完全にスルーされると潔すぎて物足りなさを覚えるほど。
そして図録。「企画展図録」というよりも「博物館が所蔵するメニューの目録」と言うべき内容。分量の半分を一覧が占め大多数の写真はとてつもなく小さく文字が全然読めない。その上展示されても図録に写真が収録されていないメニューがかなりある(ガーデンパーティーなど)。よって食事そのものはもちろんデザインにしても図録と照らし合わせて気になる物は現地で模写しなければならない。
展示の写経なんてディズニー方面(D23 Expo Japan 2015企画展『東京ディズニーリゾート特別展示』)だけかと思っていたから客船でもせねばならないなんて予想外で…。どんな形であれ図録があるだけマシだけどね。
飛鳥の元総料理長の講演も現役時代の話が中心でオーシャンライナー関係は全然無かったのが少々拍子抜け。話自体は楽しかったが、"客船の食文化"と銘打つからにはもう少しあるものだと期待していたのだ。

もちろんこれら展示や講演の内容自体が悪かったわけでは無いので展示自体は一見の価値があると断言できる。単に自分の期待していた方面と少々違うだけの話。まあ、カツカレーと聞いて勝手にポークカレーを思い浮かべていたと言うか。

内容

1900年8月19日(春日丸ディナー)から1942年10月8日(鎌倉丸)まで240点以上の展示は圧巻。まさに数の暴力。40年近くの変遷を辿ることができる楽しい展示。…偉そうに御託を並べていてもこれなのだからオタクとは何ともめんどくさい生き物である。

メニューが手書きで記される初期の物、日露戦争当時の軍事郵便便箋のスタイルを取り入れ手紙としても使える便箋型メニューの確立、元から一等客の主流が外国人だったこと1930年代の国際観光政策が相まって日本趣味を押し出したデザインが一貫して用いられている。
つまり東京国立美術館の2016年企画展『ようこそ日本へ:1920‐30年代のツーリズムとデザイン』(参照:ようこそ日本へ:1920‐30年代のツーリズムとデザイン _ 取材レポート _ - インターネットミュージアム)とも関係する展示とも言える。

本企画展では制作の過程にも展示で触れている点が特色の一つだろう。陸上の「機械木版印刷」で絵柄部分を刷った用紙に船内の印刷機でメニューを刷るが、船員しんぶん1971年2月16日号の連載『昔の船と人』に毎日夜遅くまで活字を拾ってバッタンバッタン刷る様子が語られている。

浅間丸ディナー
↑筆者所有の浅間丸ディナー(1932年6月19日)より部分拡大。図録p23の日枝丸ディナー(1931年11月15日)と同じく竹久夢二による宝船の絵が描かれ船名の「丸」の由来が英文で記されている。
このように解説を添えることにより食卓の話題のネタを提供する狙いもあったという。

3,平野丸ディナー(1911年12月19日)
Cold Buffet
ローストマトン
スモークソーセージ
「強火をつかえない船上ではあらかじめローストしておいた肉を冷食として出す」と聞いたことがあるが、各メニューを見ていくと確かに30年近くずっとCold Buffetとして記されている。
ちなみにお茶は緑茶とリプトン、ダージリンなどが出されている。

203,榛名丸昼食(1936年12月31日)
ベジタリアン向けのメニューを併記。全てに併記しているわけではないがその都度対応して出していたのだろうか?

展示の焦点は絵柄でありメニューの内容が見えないものも多数だが、そっちに注目してみても面白い。むしろそっちが気になる。
図録の目録を見ると全体で2087点、これだけの蓄積があれば『飛鳥ダイニング』の戦前版が出せそうなのにもったいない…。
普段の食生活の貧しさもさることながら英文メニューなので解説が欲しい。

豪華版メニュー

最終寄港地へ到着する前夜のさよならディナー、ハワイ入港時のアロハディナー、正月、紀元節、サンクスギビングデーなどなど特別なディナーの場合メニューも凝ったものになる。

236,榛名丸キャプテンズティーパーティー(1936年12月19日)
扇形、というよりも扇に印刷されたメニュー。
酒、みつまめ、かきもちなど 
238,秩父丸ガーデンパーティー(1936年5月6日)
おでん、いなりずし、天ぷら、花見団子、おしるこ…と和風なメニューが続いた後にChicken Bouillon、Cold Salmon、アスパラガスサラダ、アイスクリーム、Demitasseと並ぶ。
ガーデンパーティーとはプロムナードデッキで開かれるすき焼きパーティーみたいな催しだろうか。

239,大洋丸ティーパーティー(1935年7月7日)
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↑メニューの模写。D23EJから模写の腕は全く進歩していない…。
238番と同様に小さなうちわ型のメニュー。濃紺の地に描かれたクジラの絵がかわいい。

232 秩父丸ディナー(1930年4月18日)
航 跡【第27回 「テーブルの会話が弾むメニュー'」】
竹久夢二の有名なメニュー。MATZ8の真魚氏がBBSで浅間丸と掛け合わしたイラストを描かれている。
普段のものとは二回り以上サイズが違うこのメニューは豪華版メニューに分類されている。てっきり通常のものだと思っていたので意外だったが、しかし他のメニューと違いどのような催しか書いていないのでわからず。

『楽しい船旅』
秩父丸の出航から入港まで船上の生活を映した宣伝映画。英語字幕の海外向け宣伝ということですき焼きパーティーや和室など日本趣味にかなり時間を割いている。

長い船旅の楽しみ 玉掬い、ゴルフ、バトミントン(デッキテニスかもしれない)、デッキゴルフ、輪投げ等々船上のレクリエーション。
絵皿焼きは初めて見た。デッキで皿を焼いている。
ヘアサロンでは女性スタッフが整える描写も。『』にあるぜんちな丸で設置に苦労した話がある。
当時の女性スタッフは電話交換手(船内の電話。船外への電話は秩父丸など少数)とナースぐらいで少数派。外国人客に英語で対応していたら「米英のスパイ」と乗客から勘ぐられて船から降ろさざるを得なかった逸話があるほど(ソース不明。氷川丸の展示で見たような記憶はあるが一体どこで知ったのやら)。


講演『飛鳥Ⅱ元総料理長が “客船の食文化” についてお話しします』
とりあえず一部を箇条書きで。

・1992年から2005年まで海上勤務。総料理長を2008年から2013年まで勤めた。

・2人の料理長が4か月分のメニューを作る。日程が短いと洋食が、長いと和食が多くなる。
総料理長が世界一周クルーズで降りられるのは2,3か所。忙しいと全く降りられない場合もあった。
クルーの賄いはクルー用の料理人が和食1人、洋食1人、フィリピン4人(クルーに占める割合が多いので料理人も多くなる)。ビュッフェスタイルで出す。

・船に食材を供給するシップチャンドラーが各港に1,2社はある。(6月24日に講演する明治屋もその一つ)

・種子島で風の影響で三日間出られないことがあったがメニュー作りに苦労した。「水商売」は予定通りにいかず大変。 

・ケープタウンで100㎏はありそうなマグロ二匹をたまたま仕入れた。一匹は出してもう一匹は飾っておくと「これいつ出すんだ」と。

・シンガポールで果物を買い付けフルーツブッフェを開くがドリアンはどうする?「果物の魔王」は余りのにおいでプールサイドでしか出せない。→冷凍させて匂いを抑える。

・アメリカの衛生基準は一番厳しい。スクランブルでも無菌卵を使え、木は細菌が繁殖するからまな板はステンレスにしろとうるさい。
アメリカへの入港時には徹夜で掃除して食事を出したくないほど。しかし衛生局は抜き打ちでやってくる。ニューヨークで来るかサンフランシスコで来るかわからず気が抜けない。

・調理場から一番遠い客席まで50メートル離れているので料理を出すタイミングが難しい。

・以前は蒸気を使っていたから厨房は熱かったが今はIHIで楽になった。

・伝統…ドライカレーのハンバーガーが好評。氷川丸から初代飛鳥まで空白があったから大変。


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2016/11/25

横浜―日本丸、三菱技術館、郵船博物館

ツイッタ―のフォロワーさんのツイートで三菱技術館の秩父丸展を知る

調べると日本丸の総帆展帆が週末にあることを知る

じゃあついでに郵船博物館の氷川丸展も行ってみるべ
……と急きょ予定を詰め込んだ結果いくつもはしごする羽目になっていささか後悔する。もっと余裕をもって行動するべきだなウン。


日本丸の総帆展帆
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【帆船日本丸・横浜みなと博物館】横浜みなとみらいにある帆船日本丸・横浜みなと博物館・日本丸メモリアルパークへようこそ
日本丸ではすべての帆を張る総帆展帆を年に12回実施している。今回(11月20日)は本年度の最終回。
満船飾と重なるとさらに綺麗だっただろうが惑星の周期みたいなものでタイミングが中々合わないのでめったに見られるものではない。

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歩道橋より撮影。


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ボランティアによって帆を張る作業が行われる。こんな高さのヤードを渡るなんて高所恐怖症にとって悪夢だろう。

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青空に白い帆が映えて実に美しい。


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↑風が弱く水面に映っていたのでシンメトリーを意識して撮ってみたがやはりずれる。難しいものだ。

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実は日本丸に限らず帆船が帆を張るのを間近で見たのは初めての経験だったが、やはり帆船はこの姿が一番帆船らしいと実感する。惚れ惚れしますわあ。 

三菱みなとみらい技術館特別展『豪華客船の黄金時代を担った秩父丸展』
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企画展「豪華客船の黄金時代を担った秩父丸展」のお知らせ (2016年11月16日~2017年1月16日)

三菱みなとみらい技術館で開催中の企画展。秩父丸を建造した横浜船渠は三菱と合併、その跡地を再開発したのがみなとみらい21と何かと縁のあるのでそのつながりによるものだろう。

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↑展示規模はごらんのように小さいのでこの展示「のみ」を目当てに行くにはちょっと物足りないかもしれない

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↑『第170番船 日本郵船株式会社サンフランシスコ航路新造船 工事予定表』
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建造、内装、船旅の3パートで構成されている。技術系の博物館らしく建造と進水式に重きを置いて小粒ながらも凝縮された展示。

現地でお話しを聞いたところ、準備期間が短く図録の類は用意できずチラシが3種類(展示告知、横浜造船所、カラースキーム)のみ。これから進水の体感展示を追加するかもしれないとのこと。

この博物館は初めてだったが、シミュレーションのような体感展示が充実する今どきの博物館(というよりも企業PR館か)で小さい頃に行ったら夢中になって楽しんでいたことだろう。売込み中のMRJなど展示を更新しやすいのは企業博物館ならではか。


日本郵船歴史博物館『まるごと氷川丸展』
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重要文化財指定記念 まるごと氷川丸展|展示・イベント一覧|日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸

郵船博物館でクリスマスまで開かれている氷川丸展は名前の通り建造から運航、戦時中の病院船時代、戦後、引退後の展示まで氷川丸尽くしの展示。一等特別室のステンドグラスのように今まであまり取り上げられなかった題材も多くかなり濃厚。さすがは郵船博物館だ。

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↑図録目次
『近代の産業遺産の保護と氷川丸の重要文化財指定』
『建築調査から見た貨客船氷川丸』
『氷川丸の船内設計者マルク・シモン』
『氷川丸復員作業の思い出』
以上4編は展示に無い論考。『「戦後シアトル航路の出航風景」について』も有名ながら様々なキャプションで流布する写真の由来を検証する興味深い内容。

企画展図録は展示内容に加え重要文化財登録時の調査など氷川丸そのものを知るうえで『横浜市指定文化財「氷川丸」調査報告書』と並び欠かせない書籍になっている。こっちをパンフレットとして常備しておけばいいのに……と願うほど。もしも展示期間に間に合わなくても2011年の洋上のインテリアⅡすらまだ残っているので図録が売り切れる心配はいらないが、現物を見られるのが一番だから行くべし。

しかしまあ、戦前の船旅について具体的に触れた書籍は無いか質問したら「企画展図録がいちばんまとまっている」との返答で中々のショックであった。あったらとっくに手に入れているだろうからわかっていはいたが面と向かって宣告されるとそりゃ気分も滅入る。『飛鳥ダイニング』の戦前版があればいいのだが……。

なお肝心の氷川丸は生け花の展示『大フラワーデザイン展』が行われて花粉症の人が行ったら憤死しかねない有り様でがっかり。
ダイニングのテーブルやピアノの上、はては機関室にまでいたるところに派手な生け花が置いてあり正直調和も何もない。せっかく氷川丸そのものを見に来たのにここまで隠されていると興ざめもいいところだ。
これでは氷川丸が単なる展示スペース扱いなのでもっとこう、ディナー時の再現だとか機関室の壁に一輪挿してあるとかもうちょい往時を意識して欲しかった。嗚呼。
そんなわけで氷川丸の写真は無し。まあ、また今度行けばいいさ。
2014/06/30

浅間丸の「マイナスポイント(?)」

戦前日本の客船黄金時代を代表するフネといえば間違いなく浅間丸だろう。自分だってまず思い浮かべるし人気具合は船舶画家野上隼夫氏への発注数が氷川丸や飛鳥などを押さえダントツということからも窺えよう。しかしその一方山高五郎『日の丸船隊史話』「事前の掛け声が大きかった割には実現した結果がその前触れほどではなかった」や石渡幸二『あの船この船』「事前の掛け声が大変なものであったわりには出来上がった船は期待したほど大層な物ではなかった」などちょいと辛口な評価もあるのであえてマイナスポイントについて考えてみる。全面的な否定ではないのでそこんとこ了承してね。

・「前評判ほどではない」
浅間丸は日本郵船が東洋汽船を合併して当時老朽化していた天洋丸の代船として太平洋では20年ぶりの客船であり『日の丸船隊史話』では「その頃誰言うなしにスーパーエンプレス級の豪華船ができると噂が流れ出した。少し話が大きすぎるにしても誰しも当然そうであって欲しいと期待したのであり果たして事実かなと喜んだり疑ったりした」ほど期待が相当高まったと言われている。
建造前のライバルと比較してみると以下の通りであり「スーパーエンプレス級」とはつまり20000トン、20ノット以上を意味するのでそれじゃあ17,000トンのディーゼル船にがっかりするのも無理はない。
浅間丸(1929) 16,947トン 20ノット ディーゼル
エンプレスオブカナダ(1922) 21,517トン 18ノット タービン
さらに翌年以降には
エンプレスオブジャパン 26,032トン 23ノット タービン 1930年
プレシデントフーバー 21,936トン 22ノット ターボエレクトリック 1931年
と浅間丸を上回る客船が次々と登場しており、規模や内装を比べるとジャパンに「太平洋の女王」の座を禅譲したと言える。ブルーリボンのように明確な基準があるわけではないがライバルを無視することはできまい。
となると一体どれだけ盛り上がったか気になるところではあるが、先の回想や「優秀船」と言う言葉の流行、船長やベーカーなど乗務員を欧州の船会社に派遣し研修させたらキュナードなどはあまりに大勢だったので驚き「新造船は一体何トンだ」「16,000トンだ」「そんな小さな船はうちにいない」とのやりとりなどから察するしかない。

・「これが国産の優秀船と言えますかね」
1920年代の終わりにもなって船内装飾から艤装、浅間丸はエンジンまですべて輸入し船体ぐらいしか国産ではなく秩父丸の工事が完成し船内を公開した際「これが国産の優秀船と言えますかね」と皮肉られたほどだったがなぜか。端的に申せば国産製品の信頼性に原因があるからだ。戦前において和製と言えば劣等品の代名詞と和辻博士が言い切っているほど当時の国産製品の信頼性は低かったからである。鉄道でも雨宮など日本のメーカーを押さえコッペルが「オーレンシュタイン犬の糞」と揶揄されるほど全国各地に見られたのと同じ理由で、高くても結果的に安上がりになるというわけだ。
質だけでなく実力の問題もある。浅間丸の後一回り小型の氷川丸でデザインコンペを実施したが我々にも参加させろと迫った国内業者たちはほとんど期日までに用意できず間に合った案も適合しないのでフランスのマークシモン社から輸入し国産の日枝丸もイギリスのヒートンダブ社からデザインを購入して仕立て上げたように、客船一隻全体を手がけるまでまだ実力・経験が足らなかった。
そのような実情があったにせよ当時の国産製品を推奨する風潮に逆らってまで質を重視して国家の象徴、国土の延長線と言えるフラッグシップを輸入品で構成した点が当時受け入れられるものではなかったと考えられる。
風立ちぬの「これが国産エンジンだ!」やバックトゥザフューチャーの「道理で壊れるわけだ。日本製だとさ」から「何言ってるんだよドク、日本の製品はみんな最高だよ」までまだまだかかるのであり、このような状況で海外船に勝負するには同じ土俵を用意するしかないのが現実ではあるのだが…

・しょうがないけれども……
まとめると「前評判に負ける」「1930年代近くになっていまだ輸入品」ここらへんが浅間丸のマイナスポイントと言える。
太平洋と大西洋は一概に比較できないから置いとくとしても同じ航路のライバルに比較しても控えめだったのは日本船に客船としての需要が少なかったからだ。一等客のほとんどが大陸と向かう外国人で日本人はせいぜい外交官程度なので一等は少なく三等が多いピラミッド型の構成にせざるを得ずしかもターゲットの趣向に合わせるとなると内装は自然と欧米の模擬になる。オールレッドルートを担うカナディアンパシフィックと8割補助を繰り出す政府をバックに膨張するダラーズラインに対抗するには少々小粒かつ輸入しかないわけで、だからこそ料理や接客などサービスに力を入れ(手元に無いのであいまいだが)内田百閒『新田丸問答』いわくの「郵船式錬金術で外貨を稼ぎ出」したわけであり、劣勢だったからこそ今日まで語り継がれる最大の特徴が発展したとも言える。それに「国辱船」呼ばわりはさすがに行き過ぎにしても国威発揚の場であるフラッグシップが西洋の様式だけでなく輸入とは何事だということで現代日本様式ガ生まれるきっかけでもあるから何も悪いことばかりではないのだ。
ただ何かと比較される天洋丸の場合ほぼ輸入なのは変わりないがライバルたるパシフィックメイルのモンゴリアと比較してみてもほぼ同じ大きさな上内装は当時最新のアールヌーボー、エンジンはルシタニアやカーマニア登場から間もないタービン、しかも重油専燃であった(直後に石炭焚きに戻るが)ことを考えると浅間丸はだいぶ保守的に見えてしまう。その天洋丸だって直結タービンだから燃費は悪いしイギリスへの見積もりと比べたらかなり高い上工期も長いから100パーセント肯定するわけにもいかないが、浅間丸がライバルと比較して控えめだったことは事実だし堅実な郵船らしいといえばらしいが天洋丸の飛躍に比べると物足りないのもまた事実だ。
先に挙げたように当時の事情から理解できるが震災前には郵船側から2万トン級を提案したこともあるじゃないかと欲を言いたくなるのがヲタクの心情と言う奴。まあ比較対象の天洋丸は発案者の浅野総一郎が破天荒な上「痛々しいほどの無理をして」まで運航したのだから比較するほうが悪いとも言えるが、だからこそ浅間丸が控えめに見えてしまうしつい茶々を入れたくなるのよ。好きだからといってマイナスを見ないふりをしてすべて賞賛しなければならないわけでもあるまいし、このぐらいいいんじゃないのかな。
しかし「頑張ったからいいじゃないか」なんて某国鉄蒸機方面でよく聞くセリフを見かけたのは意外。客船は競争事業なのだから比較しなければ始まらないしそれを言ってしまったら郵船式おもてなしの意義すら否定してしまうやろ……
2014/05/28

日本郵船歴史博物館東洋汽船展ともろもろ

郵船博物館で開催されている東洋汽船展の感想をちっとも見かけないので書いてみる。
他はまあなんだ、前置きと言うことでご容赦願いたい。 

1,日本丸とみなと博物館
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いつも氷川丸と郵船博物館をセットで巡っておしまいだったので今回は未訪問だった両者に赴く。
実物のお船には久々にお目にかかりました。ほらここずっと保存(ではない)船舶(でもない)に付きっ切りだったわけでありまして。帆船のことは全くと言っていいほどわからないが、いい! 
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次は総帆展帆する光景を見てみたくなる。
お隣のみなと博物館ではし企画展の図録目当てに真っ先にミュージアムに突撃。
第一目標だった『魅惑の日本の客船ポスター展』は好評で売り切れとのこと。残念!海外から研究者が来るほどだったので売り切れも当たり前か…しかしマリタイムミュージアム時代の『日本の客船ポスター: 近代日本海運小史』があったので購入。解説は少ないがラインナップが多少違うため楽しめます。
国会図書館で読み歯軋りした『豪華客船インテリア画展』も入手。秩父丸氷川丸日枝丸のカラースキームの展示だが『豪華客船インテリア画集』にも掲載されていない没案が多数あるので前述書を持っていても一読をすすめる。
セイリングデイブッフェが良くできているので本物の埠頭の中を調べようと資料の有無を聞いたら『こっちが欲しいぐらいだ』とのこと。イマジニアは何を持って作り上げたと言うのだ?

2,赤レンガ倉庫周辺
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直で博物館に行くのも何なので臨港線跡である汽車道を散策。
横浜駅から赤レンガ倉庫まで路面電車なり本牧のC56を走らせたら面白いだろうなあ。
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中は縁の遠い世界なので外観を見るにとどめる。

3, 日本郵船歴史博物館 『東洋汽船そのあしどり』
で、ようやく本題の東洋汽船展に入るわけです。ここまでにぎわう館内は初めて。
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・日本丸型のポスター案
どうやら広告として出回らなかった模様。そりゃ扇形のポスターなんてどうやって刷るのやら……一つ注目してほしいのは右上に描かれている三人の女性と”Three Sister Ships” 最近艦これで知名度が上がったNYK三姉妹の先駆けとも言えよう。これを見てもまだ「男性名の丸がついているから商船は史実で男扱いされていた!」なんて言えるのかな、いいだしっぺとまとめブログ主の諸君!(いわゆる『俺設定』と前置きするのなら何も悪いことじゃないけど流石に史実と言い張るのはなあ)
・日本丸の乗組員給与
外国人船長の名前が英語で書かれており明治から昭和30年代までずっと横文字で統一されていたB6の機関車簿を思い出しかけたが、他の欄を見るとカタカナで書かれていてあれ?
・東洋汽船との合併に反対する意見書
郵船側も一枚岩ではなかったことは知っていたが「大阪商船との合併はありえず」が印象に残る。そこまで嫌だったのか。

全体的に書類が中心の展示で、浅間丸や新田丸などの調度品があった洋上のインテリア展と比べ確かに地味であり道理でネットで感想を見かけないわけだと納得する。でも自分にとっては天国でございました。
ちなみに氷川丸に以前展示されていた椅子は無い。Twitterで散々な扱いを受けていたことを聞いたので以前博物館に問い合わせてみたら「保管庫にしまっている」とのことだったが、無事ならば展示しないはずが無いわけだしムムム……
図録はインテリア展と同じく販売されているのでしばらくは売り切れの心配はいらないかと。インテリア展もまだ残っているわけだし。

4,野間恒氏講演「東洋汽船から日本郵船へ ~1926年の太平洋と1934年の大西洋~」
14時から本日の目的だった野間恒氏の講演を聴く。とりあえず興味深い内容を箇条書き。

・サンスランシスコ航路に乗り出す際東海岸と結ぶ鉄道会社が主導権を握っていたのでサザンパシフィック鉄道のハンチントンにしぶとく直談判したら「一つ浅野を育ててみよう」と提携を認められる。
・天洋丸の見積もりはイギリスの造船所が格段に安く納期も半分で済んだが、日本の造船業のため三菱に発注した。
・原油関税が国内業者の働きかけにより倍になるなどの状況で「痛々しいほどの無理をして」運航していた。
・WW1の賠償船として回航されたカップ・フィニステレを浅野が三日間通い詰めで検分して、機関室に降りて話しを聞き燃費の悪さをさいべりあ丸これあ丸と比較して納得がいかないと指摘するなど郵船の重役が現物を見もせず断ったのと対照的であった。
・自分の財産をすべて提供するから新造船を作りたいと大蔵大臣である井上準之助に直訴したが、「航路は国家のもので俺は借りているだけだ」「カップ・フィニステレを大洋丸に仕立て上げたのはせめてもの慰めだ」として合併に同意した。
・サンフランシスコ航路はシアトル航路と違い競争が激しい上天洋丸の代船が必要なので合併は火中の栗を拾うような物だから反対意見も根強かった。だがもしも大阪商船が引き取ると『郵商』が『商郵』に逆転してしまうため何としても避けたいとナショナルフラッグキャリアとしての意地が働いたのではないかとのこと。
・昭和12年にアメリカはすべての日本船を空撮していたがこれは後に潜水艦が識別するためだった。
・この合併をキュナードとホワイトスターのそれと重ねることができる(浅間丸の建造はクイーンメリーと)とし、フォアマストにそれぞれの社旗を二つとも掲げていたが所属元の旗を上にしていたとの逸話を紹介。
・前置きで「もしも病院船に氷川丸ではなく浅間丸が指定されて現在も残っていたらどうなっていたのだろうか」と語っていたのが印象に残る。

天洋丸は確かに赤字も赤字大赤字で無鉄砲にもほどがある客船だったけれど、重油やタービンの採用など先見の明はもっと評価されるべきではないだろうか。別に浅間丸を批判するわけではないけれども、もう少し30年代の客船並みに注目されていいと思うんだけどなあ。現在でもキュナード船ではホワイトスターサービスと謳っているのだから郵船も例えば飛鳥Ⅱのレストランの一つを『天地春黄』にしてみるとか(例えですよ例え)
それと『豪華客船の文化史』にサインをもらいました。ろくにお話できなかったのが心残り……客船を好きになるきっかけだったので緊張してしまったのだ。図書館の鉄道棚の近くにこの本がなければ知ることもなかったのだから。

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↑左端が東郷船長
展示を見ていたら天洋丸の初代船長東郷正作氏のお孫さんに写真などのコピーを頂きました。東郷船長は給料の高い外国人船長に代わって信頼を得るためアドミラル・トーゴーのネームバリューで選ばれたとのことだが、大洋丸初の航海でも指名されているので相当信頼されていたようだ。もう少しお聞きすればよかった……

5,大桟橋
講演の後はいつもお世話になっているぐんそうさんと合流して大桟橋へ。
横浜にはいつも平日に行っていたので大桟橋で客船を見るのが初めて。
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・ダイヤモンド・プリンセス
さすが10万トン級、間近で見ると迫力がある。
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しかしこう切り取ってみるとマンションにしか見えないのは率直な感想。最近のクルーズ船はもうちょっと見た目にこだわってもいいんでないの?
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大体船尾だって氷川丸と比べてお分かりの通りストンと切り落とされているようで物足りない。ディズニークルーズ船の見事なクルーザースターンを見習って欲しいものである。お船はお尻のボリュームが大事なのだ!(錯乱)
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・にっぽん丸
そうこううちににっぽん丸が入港。全く知らなかったので驚く。
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氷川丸と並んでも
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パノラマ写真。一生役に立たないと思っていた機能が役立った!

・かめりあ丸
続いてプリンセスと入れ違いにかめりあ丸が入港。
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引退直前の姿を見られてよかった。それにしても一時間で三隻にお目にかかったことになる。
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博物館に講演、お船と充実した一日でした。やっぱり本物っていいね!
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