2017/03/05

戦前の鉄道博物館の保管車両に関する覚書

博物館の資料は展示される個体そのものがどのような経緯を辿ってきたか、案外知られていないし解説も少ない。
例えば大宮の鉄道博物館にあるTR73台車は青梅鉄道公園で解体されたスシ28 102のものだが現地の解説では触れていない。
複雑怪奇であるから一々触れないのが当たり前だが、ましてや保存されなかった物にどれだけの分量を割けるというのか。しかしオタクとはそんなところに興味がある面倒くさい生き物なのだ。というわけでレイルマガジン2006年5月号特集『回想の交通博物館』(以下RM誌特集)を軸に主に鉄道博物館に保存「されなかった」車両についての覚書。覚書というかスクラップブックというか、まあざっくりとした自分用のまとめを長文のリハビリがてら書いてみる。

大井工場の保管車両
鉄道開業50周年を記念して1921年(大正11)に東京駅近く、呉服橋の高架下に開館した鉄道博物館は手狭なため実物の車両は展示されていなかった。2年後の関東大震災により博物館資料がほぼ全て焼失した(ちなみに『最古客車』レプリカを設置するために博物館敷地跡から掘り出した双頭レールを用いたとか。鉄道ジャーナル連載『車両とともに30年』第40回より)ので不幸中の幸いだったが、分散していた保管車両のうち汐留駅のものはもろに被災している。

『50年史』交通博物館
昭和3年(1927) 8月2日 アプト式機関車3983号(原文ママ)、2号機関車(5000号) 博物館資料に編入
昭和16年(1941)  4月30日 鉄鋼類回収運動により、5000号・3951号各実物機関車及びト8996号、ワ76113号(原文ママ)各実物貨車(当館所蔵)供出



5000
JGR-5000SL.jpg
出典:ウィキメディア・コモンズ
1871年(明治4年) シャープスチュアート製
阪神間で用いられた日本最初のテンダー蒸機。
CIMG6772.jpg
↑現鉄道博物館に展示中のナンバープレート。左下にちらりと見えるのは銘板。『交通博物館のすべて』によればサルター式安全弁は1938年(昭和13)に行われた1号の修復工事のために使われてのちに取り外されたというが現在も保管されているのだろうか?
3951
JGR-3950SL.jpg
↑同形機出典:ウィキメディア・コモンズ
1908年(明治41) べイヤーピーコック製
碓氷峠のアプト式機関車。

ワ6113、ト8996
ワ6113…1880年(明治13)工部省鉄道局神戸工場
ト8996…工部省鉄道局神戸工場(両者ともRM特集より)
初期の貨車。詳細は不明。

これらは御料車庫の側線に留置されていたが戦時中の金属回収により解体されてしまい一部のプレートが保存されるに留まった。
RM誌特集に1937年ごろの写真(撮影:杵屋栄二)が掲載されている。
大井工場の年史『大井工場90年史』『百年史』では言及なし。
鉄道史料63号『関東大震災の被災車両について』によると5000は汐留駅の旧御料車庫で火災、3951(アプト式機関車は他に3921、3983)は品川駅で脱線の被害を受けている。なお5000は『日本最初の機関車群』では「品川で元の御料車庫に保管中に関東大震災に遭遇」とある。
鉄道震害調査書大正12年補遺164コマ
『鉄道震害調査書』(国会図書館デジタルコレクション)より汐留駅構内図。

鉄道震害調査書大正12年補遺164コマ拡大
↑南端部拡大。当時すでに大井工場に御料車庫が新設、『明治45年構内図』などでは「客車庫」と記入されているので大正12年当時には御料車庫として用いられていなかったと解釈する。

「汐留駅の旧御料車庫」とは『新橋駅の考古学』に掲載の明治30年構内図に確認できる敷地南端の玉車庫のことだろうか。『鉄道震害調査書補遺』に添付された構内図(先掲書の『大正12年構内図』)によれば2日午前中には火に飲まれたとのことなのでその際に損傷したのであろう。震災後の汐留駅の写真に写っている屋根が抜けている機関車は5000かもしれない。


一枚の図面から 29 機関車編 アプトの機関車 3950-2 -汽車好きクラーケンに解体途中の写真が多数掲載されている。同記事掲載の「廃車後、大井工場で保管中」の隅に無蓋車がちらりと写っているが、これがト8996だろうか?
このように戦前の趣味人によって撮影されたということは何らかの記事が組まれたかもしれないが今のところ確認できていない。

おそらく関東大震災で焼失した保管車両
フハ3045、ロ117

客車略図262コマ
フハ3045…1872年明治5年 英国製
『客車略図上巻』(国会図書館デジタルコレクション)
客車略図86コマ
ロ117…同上 製造念不明新橋工場製(両者ともRM誌特集より)
『客車略図上巻』(国会図書館デジタルコレクション)

京浜開業時のマッチ箱客車。鉄道開業50周年式典で高架上に展示された。
鉄道史料63号『関東大震災の被害車輛について』のリストにフハ3045が載っているのでロ117もおそらくは同様に被災していると思われる。



大井工場で保管?していた車両
コハ6500
日本初のボギー客車。9両はメトロポリタン社製、1両は神戸工場で車体を製造。
IORI工房からペーパーモデルが発売中。

鉄道ピクトリアル1968年11月号『日本最初のボギー客車』
このボギー客車の写真は昭和10年ごろに大井工場で撮影されたコハ6500(旧番号のまま保存されていたらしい・中村夙雄氏蔵)が唯一のもので(後略)


もしもこの記述が正しいとすると 『50年史』の年表に記述が無いので鉄道博物館ではなく開拓使のように大井工場の管轄だった?(年史に記述なし)。5000などと一緒に金属供出で解体された可能性もあるがその後の行方は全く不明。そもそも本当に保管の意図があったかどうかすら確かではない。
他に鉄道ピクトリアル1969年3月号『「日本最初のボギー客車」補遺』によればコハ6504の廃車体が柏駅に1959年4月ごろまで残存していたとのこと。

ついでに現在も保存されている車両もちょろっと触れてみる。

『50年史』交通博物館
大正12年(1923) 5月6日 札鉄局所属7101号機関車 博物館資料に編入
 同上  7月4日 コトク5010号客車(開拓使号)(札鉄局所属)博物館資料に編入
昭和17年(1942)1月16日 善光号機関車 東京鉄道教習所より移管


弁慶…1880年(明治13)H.K.ポーター社製
幌内鉄道開業時の機関車。当初義経として7101が保管されたがその後の調査から弁慶と訂正された。この経緯は『機関車義経号』に詳しい。
CIMG6628.jpg

『機関車義経号』鷹取工場
研究甲第289号
大正12年5月29日
7101号機関車ハ別紙決議書写ノ通リ鉄道博物館参考品トシテ保存ノコトト相成候ニ付相当手続ノ上東京汐留駅構内博物館使用車庫宛回送相成度候

研甲第362号
大正12年6月27日
7010号機関車ヲ東京汐留駅車庫ニ回送方照会致置候処同車庫ハ他ニ使用ノコトト相成博物館所蔵機関車ハ当方東北線黒磯駅所在元機関庫ニ収容可相成ニ付右黒磯駅宛回送方変更相成度候
(後略)


『機関車義経号』掲載の公文書によれば「博物館への回送途中に黒磯駅で震災に遭遇」では無く「回送先を汐留駅から黒磯駅に変更」が正しいことになる。どちらにせよその後20年近く足止めという事実に変わりないが。
もしも汐留駅に回送されていたら5001と同様に関東大震災で被災していたのだから、危ういところで難を逃れたわけだ。この「博物館使用車庫」は5000が被災した汐留駅の旧御料車庫?

特急車両は一般車両より注目が集まるため保存されやすいが、7101が義経ではなく弁慶だったと指摘されると「御召車を牽引した義経号でないとすると、史的価値が半減する」(『機関車義経号』)とまで言われたように戦前においてはお召列車重要なファクターになっていた。
5000も「日本最初のテンダー蒸機」というより「京浜間でお召列車を牽引した機関車」俗説が ちなみにこの俗説はレイル35号で「開業式でお召列車を牽引したのは2号」と「5000の旧番号は2号」の二つの伝承が混濁した結果ではないかと考察されている。

CIMG6774.jpg
↑現鉄道博物館の開拓使。なぜこんな中途半端な写真かといえば鉄道博物館があまりに暗くてブレてしまいろくな写真を撮れないからである。
幌内鉄道の特別客車。開業時のお召列車で明治天皇が乗車した。
大正12年から昭和23年まで大井工場の御料車庫で保管されていた開拓使は戦後の混乱のどさくさに紛れて廃車命令が出たが、当時の大井工場長が交通博物館に引き取ってもらいこれもまた危ういところで難を逃れた(鉄道ピクトリアル誌1958年11月号島崎英一『"開拓使"号をめぐって』)。
開拓使を含む交通博物館保存車両の整備については鉄道ジャーナル連載『車両とともに30年』第40回(1982年12月号)に詳しい。この連載は他にもナデ6141の復元工事(最終回)や大井工場OBによる御料車解体反対運動(35回)、進駐軍専用車への改造等戦後期の混乱(3回~)など読みどころ満載。


善光
CIMG6659.jpg
↑現鉄道博物館の善光。こんな写真しかないのは(以下同文)
日本鉄道開業時の建設工事機。
大井工場の保管車両が解体された後に博物館入りしたということはタイミング的に金属供出を回避する意図でもあったのではと想像するが、それ以外の材料が無いので単なる妄想にすぎない。


他にも北海道大学に保存されていたが戦時中の機関車不足で復活した5861(レイル誌1978年12月号)や門司鉄道管理局に教材として保存後に爆撃で大破し戦後に解体された5176(どこかで写真を見た記憶があるのだが…金田本?)など戦前も車両の保存はそれなりに行われていた。しかしアメリカ製テンダー蒸機は義経の一族を除き壊滅、私鉄時代の木製ボギー客車も御料車以外は解体(明治村が保存するために回送したが現地で行き倒れ(明治村の保存台車その2-備忘log -名鉄雑記-参照)、名古屋工場でナヤ9836(元作業局オハ215)が台車のみ保存された(鉄道ファン誌1971年4月号など。その後どうなったのだろうか?))と相成った。特に明治初期の客貨車の損失は大きい。その意味で鉄道博物館の御料車群はマッチ箱から大型テンダーまでの客車発達の系譜として貴重だが、現地の解説は工芸品としての価値に重きを置いているのがなんだかなあ…。一般からみたらわかりやすいのだろうけど。
万世橋とは比較にならない広大な敷地に本線からの引き込み線も備えた四ツ谷の博物館計画(関東大震災でボツ)が実現していたら少なくとも大井工場の保管車両は解体を逃れたのではと実に惜しい。
とにもかくも、すべて地震と戦争のせいというわけだ。

余談
・現鉄道博物館について
昨年の8月に鉄道博物館で『海をわたる機関車』の講演(東大EMP主催講演会「海をわたる機関車~近代日本の鉄道発展とグローバル化」)のために10年ぶりに行ってみたが、やはり不満がある。
とにもかくもあまりに暗くてろくな写真を撮れない。資料保存のためなら納得いくがそのわりに一番厳重に保管しなければならない御料車や東海道新幹線の増築棟は明るいので、結局は雰囲気重視かオタク排除としか思えないのだ。
それに博物館というよりもテーマパークな雰囲気に少しさびしく感じたが、 「『手を触れるべからず』の札を『動かして御覧なさい』の札に変えていった(『交通博物館のすべて』)」二代目館長松縄信太の信条を踏まえれば70年経過してようやく当初の構想にたどり着いた…とも言えるからよいことなのだろう。親に連れてってもらって通ったノスタルジーに勝るものは無いがそれはまあ別の話。
ところがラーニングゾーン以外ではいたるところで触れるな上るなの大合唱、10年前と比べて明らかに注意書きが増えしかもC51のテンダーには網までかけられている始末。これは展示方針以前、鑑賞マナーの問題だ。
触れて楽しむ展示を標榜する鉄道博物館が開館して以来こっちまでマナーが悪くなったと以前乗り物系博物館に勤める知り合いがこぼしていたが、その鉄道博物館自身がこの有り様では全く世話ない話である。
さらにボランティアの案内時に聞いた「今流行のポケモンGOは危ないのでスマホを制限する」(実施したかどうかは不明)発言はイギリスの国立鉄道博物館ではポケモンGOを利用して呼び込みを行っている様子と比べていろいろと考えさせられる。やはりお国の差が表れているのだろうか…。








・本記事の問題点
本記事では戦前の保管車両についての記事を確認できていない(存在しないか見落としているのか、後者だと信じたいが少なくとも自分が読んでいないことは確実だ。そもそもあったらこうして自分で書かないが)ので主に古い記事などから引用している。
国会図書館のデジタルコレクションを使えば原典まで確認できるのだからまさにネットさまさまだ。

しかしきちんとした記事を読んでいないことには問題がある。
例えば鉄道博物館の「最古客車」。実際には阪神間開業時の客車であることは『最古客車図』への疑問』(1968)などですでに立証されている。しかし 『日本鉄道史』(1921)や『マッチ箱以前』(1958)など古い資料しか知らなければ京浜開業時の客車と信じてしまうだろう。
要するにえっちらほっちらまとめてみたもののとっくに否定された俗説を拾っている危険性があるというわけだ。むろん新しいから確実である保証はどこにもない。公刊物の記述がひっくり返された事例だっていくらでもある。最古客車」もその一つだ。
しかしだからといって参考文献をおろそかにしていいわけではない。むしろだからこそ重視するべきであるといってもよい(ディズニー忌避風潮を思い返してほしい。あれは誰一人としてまともにソースを重視しなかった結果できあがった風潮なので反面教師にしなければならない)。
何を言いたいかというと、真面目な話ぐらいは出典を重視すべしということだ。こうして出典を記しておけば間違いを指摘し易い、それに自分でも過去のツイートを見返しては「お前それどこで知ったんだ!言え!」としょっちゅう過去の自分を殴るハメになっているのでそれを防ぐこともできる。

長々と言い訳がましく書いたが、今のところできる範囲で調べてみた結果こんなところでこんな疑問があるよという覚え書きといったところ。というわけで誤りがあったら遠慮なく指摘してくださいませ。
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