2014/06/30

浅間丸の「マイナスポイント(?)」

戦前日本の客船黄金時代を代表するフネといえば間違いなく浅間丸だろう。自分だってまず思い浮かべるし人気具合は船舶画家野上隼夫氏への発注数が氷川丸や飛鳥などを押さえダントツということからも窺えよう。しかしその一方山高五郎『日の丸船隊史話』「事前の掛け声が大きかった割には実現した結果がその前触れほどではなかった」や石渡幸二『あの船この船』「事前の掛け声が大変なものであったわりには出来上がった船は期待したほど大層な物ではなかった」などちょいと辛口な評価もあるのであえてマイナスポイントについて考えてみる。全面的な否定ではないのでそこんとこ了承してね。

・「前評判ほどではない」
浅間丸は日本郵船が東洋汽船を合併して当時老朽化していた天洋丸の代船として太平洋では20年ぶりの客船であり『日の丸船隊史話』では「その頃誰言うなしにスーパーエンプレス級の豪華船ができると噂が流れ出した。少し話が大きすぎるにしても誰しも当然そうであって欲しいと期待したのであり果たして事実かなと喜んだり疑ったりした」ほど期待が相当高まったと言われている。
建造前のライバルと比較してみると以下の通りであり「スーパーエンプレス級」とはつまり20000トン、20ノット以上を意味するのでそれじゃあ17,000トンのディーゼル船にがっかりするのも無理はない。
浅間丸(1929) 16,947トン 20ノット ディーゼル
エンプレスオブカナダ(1922) 21,517トン 18ノット タービン
さらに翌年以降には
エンプレスオブジャパン 26,032トン 23ノット タービン 1930年
プレシデントフーバー 21,936トン 22ノット ターボエレクトリック 1931年
と浅間丸を上回る客船が次々と登場しており、規模や内装を比べるとジャパンに「太平洋の女王」の座を禅譲したと言える。ブルーリボンのように明確な基準があるわけではないがライバルを無視することはできまい。
となると一体どれだけ盛り上がったか気になるところではあるが、先の回想や「優秀船」と言う言葉の流行、船長やベーカーなど乗務員を欧州の船会社に派遣し研修させたらキュナードなどはあまりに大勢だったので驚き「新造船は一体何トンだ」「16,000トンだ」「そんな小さな船はうちにいない」とのやりとりなどから察するしかない。

・「これが国産の優秀船と言えますかね」
1920年代の終わりにもなって船内装飾から艤装、浅間丸はエンジンまですべて輸入し船体ぐらいしか国産ではなく秩父丸の工事が完成し船内を公開した際「これが国産の優秀船と言えますかね」と皮肉られたほどだったがなぜか。端的に申せば国産製品の信頼性に原因があるからだ。戦前において和製と言えば劣等品の代名詞と和辻博士が言い切っているほど当時の国産製品の信頼性は低かったからである。鉄道でも雨宮など日本のメーカーを押さえコッペルが「オーレンシュタイン犬の糞」と揶揄されるほど全国各地に見られたのと同じ理由で、高くても結果的に安上がりになるというわけだ。
質だけでなく実力の問題もある。浅間丸の後一回り小型の氷川丸でデザインコンペを実施したが我々にも参加させろと迫った国内業者たちはほとんど期日までに用意できず間に合った案も適合しないのでフランスのマークシモン社から輸入し国産の日枝丸もイギリスのヒートンダブ社からデザインを購入して仕立て上げたように、客船一隻全体を手がけるまでまだ実力・経験が足らなかった。
そのような実情があったにせよ当時の国産製品を推奨する風潮に逆らってまで質を重視して国家の象徴、国土の延長線と言えるフラッグシップを輸入品で構成した点が当時受け入れられるものではなかったと考えられる。
風立ちぬの「これが国産エンジンだ!」やバックトゥザフューチャーの「道理で壊れるわけだ。日本製だとさ」から「何言ってるんだよドク、日本の製品はみんな最高だよ」までまだまだかかるのであり、このような状況で海外船に勝負するには同じ土俵を用意するしかないのが現実ではあるのだが…

・しょうがないけれども……
まとめると「前評判に負ける」「1930年代近くになっていまだ輸入品」ここらへんが浅間丸のマイナスポイントと言える。
太平洋と大西洋は一概に比較できないから置いとくとしても同じ航路のライバルに比較しても控えめだったのは日本船に客船としての需要が少なかったからだ。一等客のほとんどが大陸と向かう外国人で日本人はせいぜい外交官程度なので一等は少なく三等が多いピラミッド型の構成にせざるを得ずしかもターゲットの趣向に合わせるとなると内装は自然と欧米の模擬になる。オールレッドルートを担うカナディアンパシフィックと8割補助を繰り出す政府をバックに膨張するダラーズラインに対抗するには少々小粒かつ輸入しかないわけで、だからこそ料理や接客などサービスに力を入れ(手元に無いのであいまいだが)内田百閒『新田丸問答』いわくの「郵船式錬金術で外貨を稼ぎ出」したわけであり、劣勢だったからこそ今日まで語り継がれる最大の特徴が発展したとも言える。それに「国辱船」呼ばわりはさすがに行き過ぎにしても国威発揚の場であるフラッグシップが西洋の様式だけでなく輸入とは何事だということで現代日本様式ガ生まれるきっかけでもあるから何も悪いことばかりではないのだ。
ただ何かと比較される天洋丸の場合ほぼ輸入なのは変わりないがライバルたるパシフィックメイルのモンゴリアと比較してみてもほぼ同じ大きさな上内装は当時最新のアールヌーボー、エンジンはルシタニアやカーマニア登場から間もないタービン、しかも重油専燃であった(直後に石炭焚きに戻るが)ことを考えると浅間丸はだいぶ保守的に見えてしまう。その天洋丸だって直結タービンだから燃費は悪いしイギリスへの見積もりと比べたらかなり高い上工期も長いから100パーセント肯定するわけにもいかないが、浅間丸がライバルと比較して控えめだったことは事実だし堅実な郵船らしいといえばらしいが天洋丸の飛躍に比べると物足りないのもまた事実だ。
先に挙げたように当時の事情から理解できるが震災前には郵船側から2万トン級を提案したこともあるじゃないかと欲を言いたくなるのがヲタクの心情と言う奴。まあ比較対象の天洋丸は発案者の浅野総一郎が破天荒な上「痛々しいほどの無理をして」まで運航したのだから比較するほうが悪いとも言えるが、だからこそ浅間丸が控えめに見えてしまうしつい茶々を入れたくなるのよ。好きだからといってマイナスを見ないふりをしてすべて賞賛しなければならないわけでもあるまいし、このぐらいいいんじゃないのかな。
しかし「頑張ったからいいじゃないか」なんて某国鉄蒸機方面でよく聞くセリフを見かけたのは意外。客船は競争事業なのだから比較しなければ始まらないしそれを言ってしまったら郵船式おもてなしの意義すら否定してしまうやろ……
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