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2014/10/05

コンフェティ補足―コロンビアのモデルと1912年前後のアメリカ海運事情―

コンフェティに書いた記事の補足として元の写真との比較と1912年前後のアメリカ海運のざっとした解説を書きましたので、コンフェティの記事と併せて読み下さい。
All Britannic pictures on this page are courtesy of Michael W. Pocock and MaritimeQuest.com
1,実物との比較
・ブリタニック
1913_00_00_britannic_p.jpg
↑建造中のブリタニックHMHS Britannic (1914) Page 4より

写真17
エンディコット親子による視察の様子の元ネタはブリタニック。タイタニックとの識別ポイントは記事でも述べたとおり左右どちらの船台で建造されているかです。


RMS_Titanic_ready_for_launch,_1911
こちらはタイタニック。 並べると違いがおわかりになるはずです。Wikipediaより



3無題
エンディコット親子の拡大。個人的にベアトリスだと思います。あくまで個人的な感想、それも願望に近いですが。
無題
無題1
人影が隠れているのでフレア(船首の上が広がる部分)を引き上げていることがわかります。

1914_02_26_launch_a.jpg
↑進水直前のブリタニック
HMHS Britannic (1914) Page 4より

写真18DSCF3335_R.jpg
進水直前の重役達の記念写真もブリタニック。もちろん本物のブリタニックに海底展望室はついていません。(一番下はオセロさん撮影)
1913_00_00_britannic_j.jpg
1913_00_00_britannic_n_20141005213029ca7.jpg
1913_00_00_britannic_o_20141005213026106.jpg
製造中のタービンや建造風景MaritimeQuest - HMHS Britannic (1914) Page 2
PAP_0196.jpg
PAP_0190.jpg
建造中の全体像や製造中のタービンも後で触れるものを除きみんなブリタニック。コロンビアの船会社ユナイテッドステーツスチームシップ社(長いので個人的には『合衆国汽船』と呼んでいます)の社紋を入れています。

・ルシタニア
5051564664_a12df4ff06_o.jpg

写真3
ニューヨーク港のルシタニア。比較すると4本目の煙突を消してブリッジを現物と入れ替え、さらに背景に霞んだホテルハイタワーを付け加えているのがわかります。ですがプロムナードデッキ周辺はルシタニアのままですのでわりとわかりやすいほうです。
無題

写真15
進水直前のルシタニア。(上はWikipediaより)それにしても合成のうまいこと!スクリューの数まで変えています。

Lusitania_in_New_york_13_sept_1907.jpg
無題r


進水直後。進水前に救命艇を積むのはおかしいと思い探したら案の定でした。
式台と船体の位置関係がちぐはぐになっているのは後の写真からコピペしたからでしょう。


・インペラトール
3c04546v-1.jpg

写真13
建造中のインペラトールのスクリューを拡大したものが左の写真です。
アメリカ議会図書館のべインコレクションhttp://www.loc.gov/pictures/collection/ggbain/item/92501327/より

PAP_0187_20141005195208abe.jpg
11719v.jpg

こちらもインペラトール。命名者である時の皇帝ヴィルヘルム二世(ピッケルハウベをかぶっているのがそれ)たちをエンディコット家に差し替えています。
こちらもアメリカ議会図書館べインコレクションhttp://www.loc.gov/pictures/collection/ggbain/item/ggb2005011597/より
・ファーターラント
CIMG3638.jpg
『豪華客船スピード競争の物語』よりファーターラントの煙路図。水管ボイラーやデッキ数、換気筒グリルが同じですのでまず間違いないでしょう。(同行したオセロさん撮影)

2,1912年前後のアメリカ海運
 アメリカンウォーターフロントの作りこみにアメリカ船をさっぱり見かけないことと各解説でしょっちゅう「第一次世界大戦」がキーワードとして登場していることにお気づきでしょうか? 今からちょうど100年前に勃発したこの戦争は日本では第二次世界大戦と日露戦争の陰に隠れがちですが、1910年代前後の客船について語る際重要なワードとなりますのでコンフェティ記事の補足としてこれを軸に当時のアメリカ海運を解説します。

・第一次世界大戦前
 端的に申せば1912年当時大西洋の海運はイギリスとドイツが二分しておりアメリカ船の出る幕はありませんでした。ルシタニア級でブルーリボンを取り戻したキュナードとタイタニックの沈没で泥が着いたホワイトスターなどのイギリスが船舶量の過半数を占め次位を高速4本煙突船を多数擁する北ドイツロイド(NDL)とインペラトール級巨船三姉妹を揃えかけていたハンブルク・アメリカンライン(ハパグ)だけで大西洋の全乗客の4割を占めるなどドイツが追い上げており、一方アメリカは全貨物の積み取り率が10パーセントを下回るなど非常に劣勢でした。
 キュナードラインの創設者サミュエル・キュナードと張り合ったコリンズラインCollins Lineや「実質的アメリカ商船の実現」をアピールしブルーリボン競争に参戦したギオンラインGuion Lineなど一時的に盛り上がったことはありますが、大西洋の膨大な需要が移民のようにヨーロッパからの一方通行だったことや豊富な木材資源が仇となった大型化に欠かせない鋼鉄船の技術の遅れ、そして孤立主義であるモンロー主義を掲げる政府が海外への進出に消極的でありナショナルフラッグキャリアの育成に熱心でなかったことなどから一時的な盛り上がりに終わり英独のように際限無い競争を続けられなかったのです。
 例外はグレートホワイトフリートやパナマ運河など棍棒外交を推し進めたセオドア・ルーズヴェルトでありテディ・ルーズヴェルトラウンジとSSコロンビアダイニングルームにも非常に関係しますがこれはコンフェティの解説で詳しく触れる予定です。
CIMG3092.jpg
↑ラウンジの天井画にはグレートホワイトフリートの航路がしっかりと描かれている。

 確かに1912年当時は北大西洋海運の独占を目指すモルガン財閥によるIMMがアメリカだけでなくホワイトスターなど海外の船会社も次々と傘下に治めていましたが、アメリカ船自体は2万トンを下回る小粒なものばかりだったのでありダイニングルームの46,328トンはともかくタートルトークの23,990トンもアメリカ船ではトップです。
 当時アメリカ最大の客船は1904年に登場した20,718トンのミネソタMinnesota(1904)であり、しかも大西洋ではなく太平洋のグレートノーザン鉄道汽船Great Northern Steamshipの客船です。これも登場時は大西洋最大のセドリックCedric(1902) 21,073トンに次ぐ大きさでしたが、1910年代にはイギリスとドイツの競争がヒートアップし4万トン級のオリンピック級の直後に5万トン級のインペラトール級が登場するなど格差は圧倒的に広まりました。
このように英独が独占していた海運情勢を一変したのが第一次世界大戦だったのです。


・戦争勃発
写真21
↑セイリングデイブッフェのマウントバーノン
 第一次世界大戦が始まると被害を避けるため停泊中だった船は出港を取りやめ航行中だったものは開戦当初はまだ中立国だったアメリカに逃げ込みました。例えばニューヨークに向けて航行中だったクロンプリンツェシン・セシリーは煙突のトップを黒く塗りホワイトスターのオリンピックに偽装して東海岸最北端の漁村バー・ハーバーBar Harborに前触れ無く入港(ケープコッドにコロンビアが突然来るようなものなので大騒ぎになりました)、ニューヨークに停泊中だったファーターラントは二年以上そのまま係留され続けました。
 このまま戦争が終われば再び日常に戻れるはずでしたが1917年にアメリカが連合国側に立って参戦すると状況は一変、アメリカ中に停泊していた35隻もの客船が接収され米軍を西部戦線に送り込む輸送船としての任務に就きました。その際改名されたのですが、セイリングデイブッフェのマウントバーノンもその一隻であり先のクロンプリンツェシン・セシリーの輸送船時代の姿です。要は1917年以降の姿になりますので実のところコロンビアの処女航海を祝う1912年のブッフェにあるのは不適当だったりします。イマジニアはわかっていながらあくまでアメリカ船のイメージを使いたかった、と思いたいところ。

・終戦後

ところ変わってTDLのチャイナボイジャーに掲げられるのはユナイテッドステーツラインのポスター。
実在する第一次世界大戦後の広告なので呼び込み文句はアメリカ人観光客向けの『欧州に行きませんか?Going to Europe?』
pict69.jpg

こちらより
George_Washington_Dampfer.jpg
Wikipediaより
描かれているのは元北ドイツロイドのジョージ・ワシントンGeorge Washington(1909)であり決してタイタニックではありません。

 戦争が終わると殆どのドイツ船が沈むか賠償として連合国側に引き渡されました。ハパグの三巨船の場合はファーターラントが接収したアメリカのユナイテッドステーツラインのリヴァイアサンに、インペラトールはルシタニアをUボートの雷撃で失ったキュナードにベレンガレアとして、そして進水したまま未完だったビスマルクは地中海で触雷して沈んだブリタニックの代船としてホワイトスターに渡りマジェスティックとして完成しました。本来なら揃って大西洋に君臨するはずだった三姉妹が国も船会社もバラバラに就航したわけで、タートルトークの煙路図で注をつけたのはこのようなわけがあります。
ジョージ・ワシントンやアメリカといったほかの客船もリヴァイアサンと共に星条旗を掲げ運航されましたが一方でNDLの4本煙突船たちは客船への復帰案が幾度も浮上しながらも20年以上放置され1940年ごろに解体されました。おそらく燃費の問題などがあったと思われます。
客船たちの国籍が変われば需要も変わります。コンフェティの解説で述べたとおり大戦前の膨大な需要は先ほど述べたようにヨーロッパからの一方通行の移民でアメリカ船が恩恵を被ることはありませんでしたが、1921年に移民が規制されるとうまいことにアメリカからヨーロッパへの観光客が増加し各国が移民からツーリスト重視になると共に地元アメリカ船の需要が増えました。
ss_united_states.jpg
最後のブルーリボンホルダーユナイテッドステーツUnited States(1952) Wikipediaより
いくら有名なアメリカ船とはいえもしもコロンビアがこの船をモチーフにしていたら調和も何もないでしょう。
 
 これに加え政府の政策転換が追い風となりました。海運業の育成に冷淡だったアメリカ政府はこれら接収船の輸送船としての活動ぶりから有事に備えての補助に熱心になりユナイテッドステーツラインに接収船の運航を任せたり建造や運航に手厚い補助金を出すようになりました。これらの理由により解説本編で登場したマンハッタンやワシントンなどでようやくコロンビアを追い抜くサイズになったわけですから、だからこそコロンビアのトン数が冒険すぎると強調しているのです。
 この流れは第二次世界大戦で100万人以上の将兵を輸送したクイーン姉妹の活躍ぶりに感化され「客船としても使える輸送船」ことユナイテッドステーツを建造するに至るまで過熱しました。直後にジェット時代が到来してオーシャンライナーが終焉を迎えたので無駄足になりましたが、アメリカ船がついに一つの頂点を極めたのには変わりありません。

 以上が第一次世界大戦を挟んだアメリカ海運のまとめです。書籍を当たってみますとやはり本国でも戦後のユナイテッドステーツか戦間期のリヴァイアサンから取り扱っておりギオンラインとリヴァイアサンの間、1880年代から1910年代前半はめったに取り上げられていないほど知られていませんのでだからこそ「在りし日のオーシャンライナー」というイメージを作り出すためには英独有名船の写真を用いる必要があったと言えます。
 ただしこの年代の客船は日本においてタイタニックしか知られていないのでそればかり取り上げられますが、タイタニックだけではなく様々な客船を寄せ集めていることは強調します。

 CIMG2278.jpg
キューラインの写真から元ネタや史実まで幅広く展開できますので、これぞ作り込みの醍醐味の一つと言えますでしょう。
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