2012/05/09

『アーティスト』感想&リンク追加

というわけでリンク追加
Gota del Vient
鉄道擬人化をなさるさくらだもんさんのイラストサイト。D51498やC6120といった東日本の復活蒸機を主に描かれていて蒸機派な自分にとって実にうれしいかぎり。

TRANCING NITEMARE
twitterでお世話になっているロザさんのサイト。ディズニーやアメコミの素敵なイラストを描かれる。ミスマス(こんなかぼちゃなキャラがD映画にいるはずがない)やイリュージョニスト(ジャック・タチを知った直後だったのに知らなかった…)を知った=つまりこんなごった煮状態まで趣味が広がったのはロザさんのおかげじゃないですかホントありがとうございます!

三脚檣
第一次世界大戦前の軍艦といえばこの人、な志郎さんのサイト。装甲艦については日本でも指折りな方でコミケで出される冊子は貴重なWW1資料となっているので毎回楽しみにしております。
にしてもリンクばかりが立派になっていいのかねこりゃ…
さて本題は『アーティスト』の感想である。二回目を見てからじっくり取り組もうと思った矢先にパソコン大破という普通は言い訳に使うような事態になってここまで伸びてしまったが今日こそ年貢の納め時だぜ!
盛大にネタバレどころではないので追記からどうぞ。

ストーリーは有名なのでさておきサイレント・トーキーの特性に関することをつらつらと書いてゆく。
 この映画はモノクロ&サイレント映画だが、まったくの無音で進行すると思っている人がいるのはびっくりである。確かにサイレント映画において音声というのはそれ自体にはついていないがさまざまな形で関わっている。冒頭の劇中劇にも見えるとおりオーケストラの伴奏が、戦前日本では活弁がつき盛り上げていたことを考えると今より華やかな一面もあったのではないだろうか。
劇中においても音声は重要な役割を果たしている。有名な例はチャップリンの『街の灯』であろう。盲目の花売り娘は自動車のドアが閉まる音でチャーリーを金持ちだと勘違いし後の彼と彼女の認識のすれ違いにつながるのだ。この映画はほかのチャップリン映画とは違い当時からサウンド版で製作されており、冒頭の除幕式では『独裁者』のヒトラー…ではなかったヒンケルの演説のように楽器(確かコルネット)によるまったく意味のないものと揶揄しているようにこの映画はサイレント・トーキーの両方の特性をうまく使っている。
またロイドの『要心無用』では遠くから呼びかけるシーンでは字幕の文字がずいぶんと小さくなるというギャグが使われいる。…もしかしすると最後のBANG!もこういったノリなのかな?
いろいろと場面を使って名作たちへオマージュをささげているのだが実はそこまで名作の現物を見たわけではないので、主にサイレントとトーキーの最大の違いである音声の使い方に注目してみた。

1. ―声―"I won't talk! I won't say a word!"
  しょっぱなの劇中劇の拷問シーン(なんとなく『メトロポリス』のマリアのシーンが思い浮かんだがさてはて)からこのせりふが飛び出るのはトーキー映画には出たくないというジョージのスタンスが現れているようにも思える。最後の『喜んで』がフランス訛りなので、訛りを聞かせたくなくなかったという意見もあるが、そこまでだろうか?ぺピーと出会うシーンでラジオ?のインタビューに答えているからそうでもない・・・と思うが奥さんとの喧嘩で『なんで話さないの?』と攻められる場面もあるのでどうとるか微妙なところである。
それとトーキーでのし上がったぺピーの声が一度も聞けないのは成功したという説得力を持たせるためなのではないだろうか。


2.ー音―"Please Be Silent Beyond the Screen"
 この本編がサイレント映画だと知らないで見に行ったとして最初に違和感を覚えるのはここら辺からであろう。『スクリーンの裏では静粛に』と注意書きがあるのにジョージたちが話している、という矛盾?があり、The Endからワンテンポおいてジョージがガッツポーズをし喜んだのは観客の拍手を聞いたからだとわかるがまったくの無音で、ここでサイレントだと気づくわけだ…たぶん。
 一番インパクトがあるのはやはり悪夢のシーンだろう。『雨に唄えば』なトーキーのテストを笑った後にコップを置くと音がするのは二回目でもびっくりする。このシーンでは観客の立ち居地があいまいになっているように感じる。というのは、せりふが字幕であらわされるのは技術上の問題で観客のためだが、ジョージは音が出ることにびっくりし声が出ないことにあせる。それまで観客に声が聞こえなくても劇中では普通にやりとりしていたのにここでこの展開が繰り広げられると、前提がひっくり返されいろんな意味で混乱させる効果があるように思える、というか実際混乱している。実にこんがらがる…
まったくの無音を体感するのは映画館でなくても稀有だろう。劇中で無音なのはジョージとぺピーが出会う映画館前と撮影所そしてぺピーの『脅迫してるのよ!』だが、意図的な無音は冒頭の拍手とラストのジョージの自殺を止めるシーンだけではないだろうか。特に後者では『声』に集中させ、観客の中で声を展開させるためで、音がないだけ観客には想像する余地があるサイレントの強みが発揮されるシーンであると感じる。

3,雑多にもろもろ
・運転手がどこかで見たことあると思ったら『ベイブ』の温厚な農場主役立った人で、ここで現代の映画とのつながりを見つけた気分だったり。まあ彼以外を知らなかっただけなのだが。
・ぺピーが口笛を吹いてタップを踏むのはつけ黒子に並ぶ彼女のトレードだったのかな?ジョージから影響を受けてタップをはじめ、そしてラストでジョージにタップを勧めると考えるとこれまた…
・最後のBANG!へつながるぺピーとジョージのカットバックはグリフィスの『最後の救出』かね?
・音楽が実にいい。特にぺピーが病院でフィルムを見るシーンのピアノとグロッケンの組み合わせはずるい。
・こうしてみるとサイレントとトーキーのそれぞれにしかできない特性をうまく組み合わせてできた作品であると実感するが、声なしのサウンド版もしくは生演奏前提で撮ってみたらどんな作品ができあがるのだろうかという疑問もふと浮かび上がる。

『サイレント映画』を『劇場』で『リアルタイム』に見れるというのは非常に幸運なことなので見れてよかったのだが、リアル周囲で見たやつが少ないのはどういうことだ。しかも次々と映画館から干されているのは複雑怪奇としか言いようがない。悪夢やBANG!には本気でビビりぺピーが没フィルムを見るシーンでは思わず涙したりと芸術映画じゃないエンターテイメントなのでぜひとも映画館で見てほしいんですがね…

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