2017/06/11

郵船博物館企画展『日本が運んだニッポン-客船時代のメニューデザイン-』

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企画展「日本が運んだニッポン-客船時代のメニューデザイン-」|展示・イベント一覧|日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸

郵船博物館の企画展『日本が運んだニッポン-客船時代のメニューデザイン-』に行ってきたが、いくつか注意しなければならないことがあるのでそれから。
まず題名の通り食事ではなくメニューのデザインに集中している点。確かに食事は9年前に企画展『豪華客船の食』があり今回も取り上げるとなると焦点がぼやけてしまうかもしれないが、ここまで完全にスルーされると潔すぎて物足りなさを覚えるほど。
そして図録。「企画展図録」というよりも「博物館が所蔵するメニューの目録」と言うべき内容。分量の半分を一覧が占め大多数の写真はとてつもなく小さく文字が全然読めない。その上展示されても図録に写真が収録されていないメニューがかなりある(ガーデンパーティーなど)。よって食事そのものはもちろんデザインにしても図録と照らし合わせて気になる物は現地で模写しなければならない。
展示の写経なんてディズニー方面(D23 Expo Japan 2015企画展『東京ディズニーリゾート特別展示』)だけかと思っていたから客船でもせねばならないなんて予想外で…。どんな形であれ図録があるだけマシだけどね。
飛鳥の元総料理長の講演も現役時代の話が中心でオーシャンライナー関係は全然無かったのが少々拍子抜け。話自体は楽しかったが、"客船の食文化"と銘打つからにはもう少しあるものだと期待していたのだ。

もちろんこれら展示や講演の内容自体が悪かったわけでは無いので展示自体は一見の価値があると断言できる。単に自分の期待していた方面と少々違うだけの話。まあ、カツカレーと聞いて勝手にポークカレーを思い浮かべていたと言うか。

内容

1900年8月19日(春日丸ディナー)から1942年10月8日(鎌倉丸)まで240点以上の展示は圧巻。まさに数の暴力。40年近くの変遷を辿ることができる楽しい展示。…偉そうに御託を並べていてもこれなのだからオタクとは何ともめんどくさい生き物である。

メニューが手書きで記される初期の物、日露戦争当時の軍事郵便便箋のスタイルを取り入れ手紙としても使える便箋型メニューの確立、元から一等客の主流が外国人だったこと1930年代の国際観光政策が相まって日本趣味を押し出したデザインが一貫して用いられている。
つまり東京国立美術館の2016年企画展『ようこそ日本へ:1920‐30年代のツーリズムとデザイン』(参照:ようこそ日本へ:1920‐30年代のツーリズムとデザイン _ 取材レポート _ - インターネットミュージアム)とも関係する展示とも言える。

本企画展では制作の過程にも展示で触れている点が特色の一つだろう。陸上の「機械木版印刷」で絵柄部分を刷った用紙に船内の印刷機でメニューを刷るが、船員しんぶん1971年2月16日号の連載『昔の船と人』に毎日夜遅くまで活字を拾ってバッタンバッタン刷る様子が語られている。

浅間丸ディナー
↑筆者所有の浅間丸ディナー(1932年6月19日)より部分拡大。図録p23の日枝丸ディナー(1931年11月15日)と同じく竹久夢二による宝船の絵が描かれ船名の「丸」の由来が英文で記されている。
このように解説を添えることにより食卓の話題のネタを提供する狙いもあったという。

3,平野丸ディナー(1911年12月19日)
Cold Buffet
ローストマトン
スモークソーセージ
「強火をつかえない船上ではあらかじめローストしておいた肉を冷食として出す」と聞いたことがあるが、各メニューを見ていくと確かに30年近くずっとCold Buffetとして記されている。
ちなみにお茶は緑茶とリプトン、ダージリンなどが出されている。

203,榛名丸昼食(1936年12月31日)
ベジタリアン向けのメニューを併記。全てに併記しているわけではないがその都度対応して出していたのだろうか?

展示の焦点は絵柄でありメニューの内容が見えないものも多数だが、そっちに注目してみても面白い。むしろそっちが気になる。
図録の目録を見ると全体で2087点、これだけの蓄積があれば『飛鳥ダイニング』の戦前版が出せそうなのにもったいない…。
普段の食生活の貧しさもさることながら英文メニューなので解説が欲しい。

豪華版メニュー

最終寄港地へ到着する前夜のさよならディナー、ハワイ入港時のアロハディナー、正月、紀元節、サンクスギビングデーなどなど特別なディナーの場合メニューも凝ったものになる。

236,榛名丸キャプテンズティーパーティー(1936年12月19日)
扇形、というよりも扇に印刷されたメニュー。
酒、みつまめ、かきもちなど 
238,秩父丸ガーデンパーティー(1936年5月6日)
おでん、いなりずし、天ぷら、花見団子、おしるこ…と和風なメニューが続いた後にChicken Bouillon、Cold Salmon、アスパラガスサラダ、アイスクリーム、Demitasseと並ぶ。
ガーデンパーティーとはプロムナードデッキで開かれるすき焼きパーティーみたいな催しだろうか。

239,大洋丸ティーパーティー(1935年7月7日)
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↑メニューの模写。D23EJから模写の腕は全く進歩していない…。
238番と同様に小さなうちわ型のメニュー。濃紺の地に描かれたクジラの絵がかわいい。

232 秩父丸ディナー(1930年4月18日)
航 跡【第27回 「テーブルの会話が弾むメニュー'」】
竹久夢二の有名なメニュー。MATZ8の真魚氏がBBSで浅間丸と掛け合わしたイラストを描かれている。
普段のものとは二回り以上サイズが違うこのメニューは豪華版メニューに分類されている。てっきり通常のものだと思っていたので意外だったが、しかし他のメニューと違いどのような催しか書いていないのでわからず。

『楽しい船旅』
秩父丸の出航から入港まで船上の生活を映した宣伝映画。英語字幕の海外向け宣伝ということですき焼きパーティーや和室など日本趣味にかなり時間を割いている。

長い船旅の楽しみ 玉掬い、ゴルフ、バトミントン(デッキテニスかもしれない)、デッキゴルフ、輪投げ等々船上のレクリエーション。
絵皿焼きは初めて見た。デッキで皿を焼いている。
ヘアサロンでは女性スタッフが整える描写も。『』にあるぜんちな丸で設置に苦労した話がある。
当時の女性スタッフは電話交換手(船内の電話。船外への電話は秩父丸など少数)とナースぐらいで少数派。外国人客に英語で対応していたら「米英のスパイ」と乗客から勘ぐられて船から降ろさざるを得なかった逸話があるほど(ソース不明。氷川丸の展示で見たような記憶はあるが一体どこで知ったのやら)。


講演『飛鳥Ⅱ元総料理長が “客船の食文化” についてお話しします』
とりあえず一部を箇条書きで。

・1992年から2005年まで海上勤務。総料理長を2008年から2013年まで勤めた。

・2人の料理長が4か月分のメニューを作る。日程が短いと洋食が、長いと和食が多くなる。
総料理長が世界一周クルーズで降りられるのは2,3か所。忙しいと全く降りられない場合もあった。
クルーの賄いはクルー用の料理人が和食1人、洋食1人、フィリピン4人(クルーに占める割合が多いので料理人も多くなる)。ビュッフェスタイルで出す。

・船に食材を供給するシップチャンドラーが各港に1,2社はある。(6月24日に講演する明治屋もその一つ)

・種子島で風の影響で三日間出られないことがあったがメニュー作りに苦労した。「水商売」は予定通りにいかず大変。 

・ケープタウンで100㎏はありそうなマグロ二匹をたまたま仕入れた。一匹は出してもう一匹は飾っておくと「これいつ出すんだ」と。

・シンガポールで果物を買い付けフルーツブッフェを開くがドリアンはどうする?「果物の魔王」は余りのにおいでプールサイドでしか出せない。→冷凍させて匂いを抑える。

・アメリカの衛生基準は一番厳しい。スクランブルでも無菌卵を使え、木は細菌が繁殖するからまな板はステンレスにしろとうるさい。
アメリカへの入港時には徹夜で掃除して食事を出したくないほど。しかし衛生局は抜き打ちでやってくる。ニューヨークで来るかサンフランシスコで来るかわからず気が抜けない。

・調理場から一番遠い客席まで50メートル離れているので料理を出すタイミングが難しい。

・以前は蒸気を使っていたから厨房は熱かったが今はIHIで楽になった。

・伝統…ドライカレーのハンバーガーが好評。氷川丸から初代飛鳥まで空白があったから大変。


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