2012/05/19

SSコロンビア概説4~オーバーザウェイブとクルーズ


コロンビアはドックサイドステージには欠かせない存在である。セイル・オーバー・テーブルとすべてのショーの背景として君臨しており前者二つとはとりわけ密接している。
しかしコロンビアの処女航海と明確なセイルとは違いオーバーはちょっとあいまいだ。初期の航海5周年はまずもってありえなく、以降も明言はされなくなった。これはBGS厨にとって由々しき事態である。
というわけでクルーズという観点からオーバーを解読?してみようという試みを行ってみる。
1,前置き~クルーズ事情
①,WW1以前
クルーズ自体の発祥は古く1840年代の地中海航路の利用から始まった。北大西洋は冬になると荒れ渡航客が少なくなるのでその埋め合わせに行われていた。しかしこの内容は一言で表せば「素朴」に尽きるだろう。1910年に初めての世界一周クルーズに出たハバクのクリーブランドの売り文句は「電気仕掛けの乗客昇降機」「最新鋭の証明と換気設備」「汽船の安定感」…今から比べれば素朴だろう(大事なことなのでry)しかし帆船もまだ現役だったこの時期では考えられない贅沢だった、と考えるしかない。ゴールデンミッキーもショッピングセンターもないのは当たり前である。

②,戦間期 
世界恐慌のためにガクッと減ってしまい、ノルマンディみたいな新造船やブルーリボンライナーもしょっぱなからカリブ海クルーズを行う羽目になった。戦前からの韋駄天であるモリタニアもその一隻で、Dファンのコロンビア解説に載っている写真はこの後に解体されるため回航される直前の姿である(白色塗装、アンカーの錆、フォース橋をくぐるためのマストカット…にしても全盛期でなくこの時期の写真を使ったのはなぜだろう?)これらのクルーズは定員をいつもよりも制限し高い運賃を取る代わりにサービスをよくする方法をとっていた。
地中海航路は戦前からクルーズ的要素も兼ね備えており、イタリア唯一のブルーリボンライナーレックスは屋外プールを最初から備えていた珍しい存在で、食事もたとえ三等であろうとうまいと評判であった。
WW2以前これらのクルーズは一人勝ちしたアメリカ人を主体とする一部の富裕層が対象であり、現在とは違い非常に限られたものであった。この状況が変化するのが二次大戦後である。そしてめいいっぱい遊ぶというよりも避暑地に行く感覚でありゴールデn(ry

③,戦後
 戦後数年間はキュナードのクイーン姉妹による北大西洋独占であるとか最後のブルーリボンライナーでありチート野郎でもあるユナイテッドステーツ就航だとか最後の華やかな時代だったが、戦争にありがちな技術の発達により航空機が大西洋を制覇する時代になり勝負ははっきりした。そりゃ数時間VS3,4日だったらわかりきっていることであり…。
というわけでまたしてもお下がりによるクルーズが始まったがここで問題になったのは北大西洋に適した構造という点だ。エアコンはない、屋外プールはない、世界一周航路に必需なパナマ運河は幅が広すぎて通過できない…
屋外プールを備え着実にクルーズ色を強めていたインディペンデンスやアンドレアドリアを新造した地中海航路も同様で、航空機の前に滅び行く恐竜のようなものであった。
しかし絶滅すると思われた客船事業にも一筋の明かりが見えた。カリブ海大衆定期クルーズである。これまでのクルーズは不定期に行われるいわば一品物で客が予定をあわせなければならなかったが、週末の定期便を出すことにより気軽に行けるようにし利便性を強化ししかもメガトンシップと呼ばれるような巨船にすることにより単価を安くするのに成功した。クルーズの性質も航海を楽しむというより船上であらゆる遊びを楽しめるいわば動くレジャーというものに変化した。ディズニークルーズもこれに近いランクである。これにより消えたのが大西洋横断航路であった。せいぜいキュナード船が修理するためにヨーロッパの造船所に行くついでのクルーズぐらいだ。

2,本題~オーバーはいつごろだ?
さてようやく本題のオーバーの時代特定(ぶっちゃけこじつけ)に入る。
アメフロの基本設定である1912年は上記のようにまだしも初期の5周年はまずもってありえない。さすがのアメリカも戦争中にクルーズを行う余裕は無い。よってWW1以前は却下。
次に戦間期だが客層から疑問点がつく。だってティムスーあたりが富豪に見えるかといわれても…中流あたりがぜいぜいだろう。クルーズの内容も書いたとおりトロピカルパーティやみたいに派手ではない時代でちと疑問点がつく。
ここで残ったのが戦後だ。ここが一番しっくりくるだろう。現代のクルーズに近づきつつありながらノスタルジー分も補給できる。現代のクルーズに密航は合わないし時代的にもトニマリの衣装移民事情エトセトラがつじつまあわせできる瀬戸際ラインでもある。それにコロンビアのクルーズにあわせるための近代化改装とかUSスチームシップ(いい略語は無いものか。USSだったらアメリカ海軍の接頭詞になってしまうし)関連も結び付けられてますますよろしい!
というわけで個人的にオーバーは戦後1950年代あたりが妥当ではないか、という結論で締めで。1912年じゃない?ジャズエイジなBTMや3月20日処女航海なコロンビアと9月4日ツアー開始のタワテラと転々ばらばらなアメフロで何をいまさら…である。なによりさまざまな時代が同居していれば妄sゲフンゲフン想像にもプラス、ケースバイケースでいいのでは?

追記よりこの設定による妄想。あまりオススメはできない。

1912年にフラッグシップとして就航したコロンビアはWW2中米軍に徴用され兵員輸送船としてイタリア戦線に続々とGIを送り込んでいた。この将兵に混ざっていたのがのちのトニマリの父親で、戦争のどさくさにまぎれて現地の女性と恋をし生まれたのが密航兄妹であった。
戦争が終結し父親はアメリカに帰還するが母親は何らかの事情によりイタリアにとどまることになり、兄妹は父親が引き取ることになった。ここでコロンビアで引き揚げをしたのが後に生きることになる。(戦争花嫁はどうしたって?そこが辻褄合わせたる所以よ)
ニューヨークで暮らすこととなった親子だが長く行かず、何らかの事情(おそらく朝鮮戦争)により別離してしまいトニオがマリアの世話をしていくこととなる。(ここでチャップリン兄弟レベルの生活しか思いつかないのは脳みそのストックの貧弱さの露出に他ならない)
1950年代になりコロンビアは引き上げその他もろもろの軍役からようやく開放されUSSに返還される。すでに相当老朽化していたので会社は花形の北大西洋航路に戻すのは断念した。そのかわりインディペンデンスやアンドレアドリアといったクルーズ色が強い客船が新造されるのを見た会社はとりあえずコロンビアをモノクラス改造その他手をいれ試験的に地中海クルーズに投入することとした。これがドリームクルーズであり社内の人材不足を補うためにブロードウェイから俳優を入れてこ入れを図ったりと力を入れていた。
一方何らかの手段により母親が病気だと知った兄妹はドリームクルーズのポスターを見てイタリアから引き揚げた船だと気づく。そして密航にいたったのだ。
『はじめてのくるーずじぎょう』であり退屈とののしられたりもしたがこの兄妹の活躍によりなんだかんだで成功した(とみなされた)ので会社は図に乗り世界一周クルーズを実施する。これがテーブルにつながるのだがまた別の話である。

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