2012/03/24

発見された京浜開業時の写真について

朝日新聞1月29日付けより
朝日新聞1月29日朝刊「文明開化くっきり」より
 1月29日の朝日新聞にオーストリアで発見された1872年の横浜駅の写真が掲載された。当時のFAR EASTに未掲載だった48点のうちの一枚だそうだ。
他にも荒廃した大名屋敷も掲載されていたが鉄道好きとしてはやはり横浜駅に注目してしまう。その中でも気になった点がいくつかある。


1,編成、特に客車について
 昔から明治時代の客車は『マッチ箱』と称され、開業時の客車も博物館の1号機関車に同伴しているようなコンパーメント式が使用されていたと考えられていたが現在では京阪開業時のものとされこちらではデッキ付が使われていたとされている。この写真ではその通り客車はすべてデッキ付である。説の分かりやすい証拠ではないだろうか。編成の半分を貨車が占めているのも興味深いが、貨物輸送が始まったのは翌年の1873年といわれるがこれはミキストではない貨物列車のことで輸送自体は開業時から行われていたということであろうか?

2,先頭の蒸機について
一番気になるのは牽引する蒸機は開業時の10輌のどれかということである。img349.jpg
↑バルカンファンドリー製1号、後の150形 ↓シャープスチュアート製2~5号、後の160形
img350.jpg
img351.jpg
↑エイボンサイド製5~6号、後台湾に島流し移管 ↓ダブス(正しくはドーブス)製8~9号、後の190形
img348.jpg
↓ヨークシャー製10号、後の110形
img352.jpg
以上すべて「私の蒸気機関車史 上」川上幸義 より
まず落とされるのはダブスである。『ブレーキバン』が決定的な目安だが、例え改造されたとしても上記の写真にあるように水槽がボイラーよりも高いので非常に目立つ。写真では普通の高さのため除外される。
ブログに乗せたものではよく見えないが機関室の背はしっかりとしたものであるので屋根と風除けしかないヨークシャーと背がないエイボンサイドは次に除外される。
最後に残ったのはバルカンとシャープだが、この二形式の区別はボイラーの高さに頼るしかない。しかし新聞記事のをよく見ても正直区別できない。したがって

結論:原版を見るしかない

…竜頭蛇尾とはこのことを言う